vol.1スプリングドライブ

世代を超えて引き継がれる
人と長野の自然が育む
ものづくりの関係

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発行年月:2024年11月

※本記事の掲載情報は、取材当時のものであり、現在とは異なる場合はございます。

自然豊かな長野・塩尻の地で生み出される
スプリングドライブ

グランドセイコーの特徴のひとつに、機械式とクオーツ、そして両者の特徴を融合したスプリングドライブという3種類のムーブメントを揃えることがある。しかもいずれも開発から設計、製造まで一貫して行うマニュファクチュール体制を構築することは世界的にも極めて珍しい。

グランドセイコーのスプリングドライブモデルとクオーツモデルの製造を担う拠点が、長野県塩尻にある「信州 時の匠工房(セイコーエプソン塩尻事業所)」だ。同工房は、スプリングドライブの複雑機構の企画開発から製造、最終検査まで完結するマイクロアーティスト工房始め、ムーブメントの組立調整や外装取付け、検査を担う匠工房、自社製の針や略字、ロゴ印刷に加え、繊細な型打ち模様や放射模様を施す文字板工房、ケースのプレスや切削、研磨仕上げ、宝飾を行なうケース・宝飾工房を擁する。

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「信州 時の匠工房」は北アルプスなどの山々に囲まれる長野県塩尻市に位置し、工房からも自然豊かな景色を眺めることができる。時計製造に関わるあらゆる技術、職人たちが結集する、グランドセイコーのマニュファクチュールを支える拠点のひとつである。

スプリングドライブは、この塩尻から生まれた世界に誇る独創のムーブメントだ。ゼンマイを駆動エネルギーに、水晶振動子とICで精度を制御する革新的な機構だ。着想から27年もの研究開発を経て、2004年にはグランドセイコー初の自動巻スプリングドライブモデルを発売し、さらに現在では最新鋭のスプリングドライブ5 Daysに進化を遂げている。長きにわたりスプリングドライブムーブメントの開発設計リーダーを務める平谷栄一さんは経緯を語る。

「次世代のスプリングドライブには何が必要かを考えた時に、小型薄型化がまずあがりました。それもただ薄くするだけではなく、全てのスペックにおいて凌駕する。その要件を整理した上で、120時間(5日間)駆動という達成目標が決まり、設計を始めました。省スペース化と長持続化の両立を実現するため、大小ふたつの香箱を並装したデュアルサイズバレルを採用し、解ける力を効率良く伝える歯形形状も最適化しました。またクオーツで培った技術をベースに、IC開発部門と協働して省電力化と高精度化を実現したパッケージICを開発しました。」
こうした複合的な技術革新によって、スペックという以上に、利便性を向上できたのでは、と言葉を続ける。

開発設計リーダーの平谷栄一さんは、スプリングドライブのエキスパートとして2004年の9R6系や最新の9RAにも関わった。その可能性について「9RA系は自信を持ってお届けできる性能を達成しました。しかしスプリングドライブの最終形ではなく、さらにブラッシュアップさせたいところもたくさんあります。今後もチャレンジしていきたいですね」と語る。

「持続時間の向上や、1か月使い続けても正確な時刻を差す安心感もそうです。また薄型化によって腕馴染みが非常に良くなりました。こうした使う人の感性に訴える部分は今後さらに求められると思います。スプリングドライブの特徴のひとつに滑らかに進む秒針があります。私たちが思う時というものは刻むのではなく、“流れる”ものだと捉えています。その動きを速く感じたり、遅く感じるような細やかな心境を時の流れに映し出す、それをこの腕時計は表現してくれると思います」

エモーショナルな領域に踏み入れた進化は、ムーブメントのデザインにも向けられた。モチーフになったのは開発の地である信州の美しい自然だ。
「工房からは北アルプスの奥穂高連峰の山並みを臨み、冬を迎えると里山の高ボッチ高原は山頂から徐々に霜が降りてくるのが見えます。そんな風景を白く染める霧氷(むひょう)の自然現象をムーブメントで表現したいと考え、表面を梨地で仕上げました。さらにダイヤモンドカットで信州塩尻の寒さや凛とした静けさのなか、煌めく星空の美しさも表現しています」
四季によって変わっていく自然の姿に時の移ろいを感じながら、工房で働くそれぞれが信州の良さを慈しむ感性を育んでいるからこそ、スプリングドライブにはより磨きがかかり、美しさにも繋がっていると話す。

次世代へ技術を伝承する、
「信州 時の匠工房」独自の人材育成

信州 時の匠工房は、マニュファクチュールとして時計製造に関わるあらゆる技術が結集する。そうした強みを支えているのが人材育成だ。基軸となるのが、高度な技術や技能の修得と継承を目的にした「ものづくり塾」と呼ばれる独自の制度である。技術技能研修グループとしてものづくり塾を担当する小松郁清さんに内容を伺った。

「新人入社時に治工具の扱い方や部品移動のタイム測定などの適正を見て、組立に適していると認められた社員は面談し、約2年間、時計に関わる全般的な基礎教育を受けます。この間、技能五輪の時計修理職種にも挑戦しながら技能を修得した後、匠工房に配属します」
技能五輪の全国大会は、技能検定の1級以上に厳しいレベルで競われ、その技能を決められた期間で身に付け、チャレンジするのは成長の大きなモチベーションになっていると小松さん。自身も「現代の名工」や黄綬褒章を受章し、40年以上に渡って現場で培ってきた知識や技能やノウハウを若い世代に伝え、指導している。

案内されたものづくり塾のアトリエでは、各人が異なる作業に集中していた。みな若く、どこか部活のような和やかな雰囲気も漂う。それでも壁面には、スケジュールに従って個人それぞれの到達すべき技術目標が細かく掲げられ、厳しい研鑽を積んでいることが伝わってくる。
「入塾すれば2年間、生産には携わらず、機械式やクオーツ、スプリングドライブといったあらゆる腕時計のムーブメントの組立、調整、修理などの訓練を行います。まさに部活であり、強化選抜ですね。でもそれが仕事であり、全員それだけのプレッシャーを持っています。そして修了後はオールラウンドの技能や知識を修得し、今後の工房の核になってやっていくという意識づけにもなっています」

小松郁清さんは、技能五輪国際大会で金賞を獲得し、技能検定の1級技能士や信州の名工、現代の名工にも輝く。指導では集中力を高めるため、写経を取り入れることも。「たすきではないですが、自分が教わったこと、身に付けたことを若い世代に伝えていければと思います。」

こうして継承し、培われる高度な技術がスプリングドライブの製造にも不可欠であることは言うまでもない。
「ムーブメントの組み立ても、スプリングドライブ特有の磁石が付いたMGローターという歯車を含め、複数本の番車のホゾを一度に輪列受に立てるのは難しく、美しく磨かれた部品に傷を付けないよう丁寧かつ素早く組み立てるのは機械式と変わりません。とくに繊細な仕上げを施した部品は、ファイバーのピンセットでもちょっと強く掴んだり、こすったりすると跡がついてしまいます。ただ組めばいいわけでなく、いかにピンポイントの場所を掴み、接触する回数もできる限り少なくワンタッチで確実に載せるか。技能者にとって扱いが難しく高い技能が要求されます」
しかし手作業でそれだけの技能を注ぐからこそ美しさもひと際、と微笑む。

「工房での集中した作業でもちょっと手を止めると、外の景色が見えて気分転換になります。塩尻は周囲を山に囲まれ、冬は寒くて閉ざされるという内陸地で、そういう環境で育つと忍耐強くなるともいわれます。一つひとつ丁寧に組み立てる高級腕時計づくりに適している土地であり、気質なのかもしれませんね」

グランドセイコーをきっかけに、
白樺林保全の新たな取り組みへ

塩尻から東へ約120㎞、北八ケ岳蓼科山を越えた先に佐久穂はある。周辺は、標高2100㎞以上では日本最大の天然湖、白駒の池や、手つかずの貴重な苔の森、広大な八千穂高原など豊かな自然に恵まれる。そしてそこには約200haの敷地に約50万本の白樺林の植生があり、優美な姿をみせるのだ。

グランドセイコーのスプリングドライブモデルには、⻑野の⾃然をモチーフにした⽂字盤を搭載したモデルがある。そのひとつ、⼋千穂⾼原の⽩樺林をモチーフにしたモデルをきっかけに、この地で新たな試みが始まった。それが「森林(もり)の⾥親協定」だ。

セイコーウオッチは2024年春、八千穂高原において白樺の植樹を始めとする森林の保全活動を行なう同協定を佐久穂町と締結した。そして長野県の「森林CO2吸収評価認証制度」により、森林整備で得られるCO2吸収量で2024年度より国内のグランドセイコーブティックから排出される二酸化炭素相当量の一部をカーボン・オフセットする。佐久穂町役場 総合政策課 政策推進係の大工原雄一さんは締結の経緯をこう振り返る。

大工原雄一さん(写真左)は、最初にコンタクトを取ってから、わずか1年半でスムーズに協定締結まで進んだことに驚いたという。浅利友一朗さん(写真右)は、時計教室に参加し、時計の奥深さと作る大変さを知り、理解が深まったことで興味も湧いたそうだ。

「最初は八千穂高原の白樺がモチーフになった時計があるとは知らず、見た瞬間にこれはすごいと思ったんです。そこですぐにセイコーさんに連絡して、森林(もり)の里親協定を結んでいただけることになりました。これは、長野県の仲介により社会貢献に意欲のある企業・団体と森林整備等に意欲を持った地域が連携して、森林整備活動等を行う制度で、これまで白樺を活用した化粧品などの商品企画はあったのですが、私たちも初めての試みです。世界的な時計ブランドですから、どんなことを一緒にできるか、考えもつきませんでした」。

その行動力も地元の観光資源である白樺をぜひアピールしたいという強い思いがあってのことだろう。背景には将来への維持管理という課題もあった。同町の産業振興課 林務係の浅利友一朗さんは説明する。
「現在の樹齢は65年程度が多いのですが、高齢化も進んでいますし、奥に入ると小さな木が生えていません。母樹だけを残してその種子の飛散を促したり、下刈りとともに光が差し込むようにして小さい木を育てるようにいま整備活動をしています」

地元でも自分たちの身近な自然を大切にしようという意識は根づいていると浅利さん。
「次の時代に繋いでいくという思いはとくに強いですね。町立の佐久穂小学校ではキャリアの教育の一環として年に1度植栽をしています。毎年約100本の白樺を植えて、来年は10年目になるので計1000本ぐらいこれまで植えています。活動は今後ずっと続けていく予定です。この活動で地元に対する愛着も湧くし、経験を通して子供たちが1人でも佐久穂町に残りたいとか、愛着や共同心が生まれてくればありがたいですね」

八千穂高原の白樺林をモチーフにした文字盤を採用したことがきっかけとなりスタートした「森林(もり)の里親協定」。キックオフの植樹活動には、GSグローバル本部長である柴崎宗久だけでなく、多くのグランドセイコースタッフも駆けつけ、新たな取り組みに参加した。

協定締結をきっかけに、セイコーも次世代を担う子どもや若者たちが時の大切さを学び、自ら考える力を育むことを目指した活動「時育(ときいく)」として、佐久穂小学校で「セイコーわくわく時計教室~日時計編~」を開催し、時計職人の体験や日時計の実験を行った。
「お付き合いさせていただくようになって町としても大変ありがたく思っていますし、時計教室は子供たちもすごく喜んでいました。植樹にしても自然を相手にすることは時間がかかることで、それが時を刻んでいく時計と結びつくというのは、とても意味があると思います」と大工原さんはいう。

協定では今後、毎年1haに3000本の植樹を進める予定だ。そのキックオフには、SDGs推進室として今回の活動を進めたGSグローバル本部長、柴崎宗久が現地を訪れ、植樹に参加した。その手で白樺の苗を植えた実感を通してこう語る。

「時の流れや季節の移ろいを美しいと感じる日本人の美意識がブランドフィロソフィーにもなっているグランドセイコーと、広大な森林、美しい白樺林を維持・管理されている佐久穂町様とは、今現在、そして次世代に向け、日本の大切な自然を守っていきたいという共通認識があります。今回佐久穂町の皆さんと一緒に山に入り、白樺の苗木を植樹し、その想いが強くなりました」。

八千穂高原に広がる白樺林は65年程度の樹齢が多く、かつての牧場の跡地に自然自生したという。白樺の樹齢は約80年といわれ、更新には保全と植樹が欠かせない。今年度から植樹が予定されている土地は拓かれ、今後5年に渡って継続的に計画植樹が続けられる。

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