酒井 清隆(Grand Seiko ウオッチデザイナー)

美しいエッジが際立つ
凛とした存在感
落ち着いた輝きを放つ
新たなデザイン

Evolution 9 Style

The spirit of TAKUMI

2020年、ヘリテージコレクションに新たなデザインが誕生しました。ケースサイドの逆斜面を極限まで減らし緊張感のある造形をとり入れたケースは、ヘアライン面を主体としながら鏡面を部分的に配することで、立体感ある面構成と斬新ながら落ち着いた意匠です。さらに、ケースの薄型化を図りながら、腕時計の重心位置に趣向を凝らし、これまで以上に優れた安定感のある装着性を実現しました。時分針は、メリハリのきいたバランスをより強調することによって、高い視認性と洗練された美しさをあわせ持っています。

「テーマに掲げたのは、『継承と進化・深化』。先人たちが築き上げてきたグランドセイコーの伝統を受け継ぎながら、次の時代にふさわしい“ひとつ先の顔”をいかにデザインしていくか、ということを目指しました」と話すのは、デザインを手がけた酒井清隆。多様化するライフスタイルの中で、どのようなスタイルにも合う腕時計を目指し、ブランド60周年の節目に生まれた新たなデザイン、Evolution 9 Style。その誕生までの軌跡を追いました。

写真:SLGH005

多様化するライフスタイルのこれからを担う、グランドセイコーの顔そのすべては、ひとつの想いから始まった

グランドセイコーの王道である「ヘリテージコレクション」を成すのは、グランドセイコースタイルを生んだ44GSに現代解釈を加えた「44GSシリーズ」と、長く愛される腕時計を目指して普遍的な美しさを実現したデザインです。デザイナーの小杉修弘が作り出した2つのデザインは、その普遍的な美しさで時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。

すでに長く受け入れられているデザインがありながら、なぜ新たな顔をデザインしようとしたのか。そこに至るきっかけについて酒井はこう話します。

「9Sメカニカルムーブメントと9Rスプリングドライブムーブメントは、その誕生以来、製造技術や匠の技によってめざましい進化を遂げてきました。その間、時代とともに人々のライフスタイルも大きく変化しました。現代の時代背景や価値観を踏まえながら、ムーブメントの進化とともに、ヘリテージコレクションのデザインも進化させていきたい。いつしかそんな想いが胸中に生まれ、それは次第に強くなっていきました」

酒井の願いが実を結び、デザインの構想に取りかかることになったのは、2017年ごろのことです。酒井はまず、前述のデザインが誕生した1998年ごろの時代背景を捉えるべく、当時の人々のライフスタイルについての考察を深めていきました。

写真:酒井 清隆

「その頃の日本は、より艶感のある車や、スーツや革靴もよりドレッシーで、きらびやかな趣を有したものが広く親しまれる傾向にあり、腕時計をつけるシーンも、オフィスやパーティーなどフォーマルな場が多くを占めていました。また、大きな視点で見ると、当時の人々は、集団としての意識をより重んじる側面が強くありました。どの時代においても、人の数だけ、さまざまな価値観があるので、一概にそうとは言えませんが、個人が何かを強く主張するというよりも、周囲といかに調和するかということが、重視されていた時代でした。それから20余年の時を経て、グローバル化が進み、身につけるものにしろ、生活に必要なものにしろ、現代では、それぞれに必要な機能を備えながら、よりシンプルに洗練されたデザイン性を持ち合わせたものが、主流として好まれる傾向にあります。あらゆるものごとについて、個々がより主体的に考えるようになり、自らで選び取った生き方、働き方を重視する人が増えている今、会社に着ていく服装ひとつをとっても、決して一様ではなく、スーツの人もいれば、そうではない装いの人もいます。一日中、デスクに座って従事するというよりは、より多面的に活動しています。こうした変化によって、腕時計をつけるシーンも、おのずと変わってきますし、それは、加速する時代の変化によって、今後より一層、広がっていくことが予想されます。この先の未来を見据えて、グランドセイコーらしい王道となる次のデザインを追求すること。それが自身に課せられた使命であると深く心に刻みました」

写真:デザイン資料

次なる60年に向かって、グランドセイコーの新しい顔をつくるかつてない継承と進化への挑戦

「先人たちによって築かれてきたデザインの中で何を継承し、何を進化・深化させていくか」—それは、酒井のみならず、歴代のデザイナーたちが常に挑戦してきたことです。しかし、ひとつ大きく違うのは、ブランド60周年という節目の年を起点として、次なる60年へと向かうグランドセイコーに、単なるバリエーションではない、ブランドの次世代の象徴となる新しい顔を作るということ。それが、酒井が挑むべき挑戦です。

目指したのは、“印象深い顔つき”を作り上げることです。個人の考え方や言動がより尊重される時代に必要なのは、腕時計をつける人の腕元で、存在感を放つデザインであると考えました。それは、腕時計がまとう独特のオーラのようなものとも言うことができます。そのような特別な趣を体現することを意識しながら、デザインを進めていきました」

酒井はデザイン面での実用性を追求するべく、歴代モデルの再考察を続けました。その中でたどり着いたのが、「初代グランドセイコー」です。

「初代グランドセイコーの時針と分針は特徴的ですが、中でも、着眼したのは、太く堂々とした時針に対し、長く細い分針という、メリハリのきいた時分針のバランスです。新しいデザインでは、優れた視認性を適えたこのバランスをさらに深めていきたいと考えました」

落ち着いた世界観が放つ、深遠な輝き

酒井にとってもうひとつの大きな挑戦は、グランドセイコーの王道となるデザインに、これからの時代にふさわしい最適な光と影のバランスを作り上げることでした。それは、ドレッシーできらびやかな輝きではなく、品格を備えながら落ち着いた輝きであると酒井は考えました。そこで着眼したのが、これまで鏡面が主体のデザインにおいては、あくまでも部分的に使われていたヘアライン面です。ヘアライン面をより多く取り入れることによって、落ち着きのある輝きを実現させています。

「ヘアライン特有のマットな質感を存分に活かすことで、腕時計全体に落ち着いた輝きや、スポーティな印象を与えることができるのではないかと考えました。新しいデザインでは、ケースサイド、ガラス縁上面、かん足の上面をはじめとするパーツにヘアライン仕上げを施し、全体的に落ち着いた趣を与えながら、鏡面を部分的に入れることで、美しいエッジが際立ちシャープな印象に仕上がっています。ヘアラインと鏡面をどこにどう入れるかによって表情は大きく変わってくるので、慎重にバランスを取りながら作り上げていきました。言い換えれば、鏡面の入れ方をいかにコントロールしていくかということが、ヘアラインの持つ特徴を最大限に活かすための肝ということが言えます。光を抑えることによって、ヘアライン面の落ち着いた世界観が強調されるとともに、光と影のコントラストに、より多くの表情が生まれることで深遠な輝きを放つデザインが実現しました」

腕なじみの良い、張りのあるケース

このデザインを作り上げていく上で、最たる利点となったのは、新ムーブメントの薄型化です。ムーブメントの厚さに由来するデザイン面での制約にとらわれることなく、従来のケースの厚さに比べて、約1ミリの薄型化を図りながら、凛とした趣を備えた「張りのあるケース」を実現しました。

「ケースサイドの逆斜面を大幅に減らし、思い切ってストレートな広い垂直面にすることで、あえてケースサイドに厚さをもたせ存在感のある造形にしました。ムーブメントが厚い場合は、薄く見せる工夫をすることが多いのですが、このケースは薄く見せる工夫をしていません。これは、ムーブメントが薄型化したからこそ実現できた造形です。切り立つようなケースサイドの垂直面や、緩やかなカーブを持つかん上面から、スパッと潔く先端を切り落としたかん足など、塊を削いだような緊張感のある造形を取り入れることで、張りのある軽快さを持つケース形状を実現しています」

さらに今回、酒井が力を注いだのが、これまで以上に安定感のあるつけ心地の実現です。

「人々がより能動的に、アクティブに活動するという現代の文脈を踏まえながら、フォーマルなシーンだけでなく、どんなシーンにでも合う腕時計を目指す上で、より安定感のある、腕なじみに優れた装着性をもたせることは必然でした。これを実現するための要となるのは、腕時計の重心位置です。ムーブメントに厚さがあると、重心位置はおのずと高くなりますが、その逆に、ムーブメントが薄ければ薄いほど、重心位置を下げることが可能になります。このデザインでは、ムーブメントの薄型化という利点を活かし、裏ぶたの厚さを極限まで薄くすることで、可能なかぎり重心位置を下げました。さらに、40mmのケースサイズに対して、かん幅を22mmとかなり広くすることで横方向のぐらつきを抑え、より腕にフィットする装着性を実現しています

写真:SLGH005

威風堂々とした佇まいと高い視認性をあわせ持つダイヤルデザイン

「時針と分針の心地よいバランスを崩すことなく、さらに見やすさを追求しながら軽快さを備えたデザインにつなげていきたいと考えました。太く堂々とした時針は、極限まで太く、分針は細く長く、初代グランドセイコーにならったメリハリのきいたバランスで視認性を向上させました」

12時位置をのぞくインデックスの先端幅も、時針先端の太さに合わせて太くし、各インデックスの中心には、溝形状のカット面が施されています。

「時間を読み取りやすくするために、時針の中心を通る印刷線と各インデックスの中心部の溝カット面は、同じ幅にしています。時針の先端をあえて切り落とした造形にしたのは、時針を極限まで太くするための工夫であり、インデックス中心の溝と時針の印刷線がつながることで精緻を増し、これも視認性の向上に寄与します。また、分針についても読み取りやすさに配慮しました。分針先端を曲げてダイヤルリングの分目盛りに極限まで近づけ、先端は時針と同様に切り落とした造形とすることで、分目盛りと同じ幅にして実用性を兼ね備えたデザインに仕上げました」

写真:デザイン資料

ダイヤルの意匠において特筆すべきは、12時位置の特徴的なインデックス形状です。

「12時位置のインデックスは『Grand Seiko』のブランドロゴと相まって、グランドセイコーを象徴する重要なパーツです。通常、12時位置のインデックスは、他のインデックスの2倍の幅をもたせた形状を配すのがセオリーなのですが、これからのグランドセイコーらしい威風堂々とした佇まいとは何か。改めて考えた時、自身が目標として掲げた“印象深い顔つき”に立ち返りました。一目見た時にこのモデルだと分かる象徴的な形状の12時インデックスにより、時間を読み取りやすくするというグランドセイコースタイルの基本を守りながら、あえて約2.5倍の幅の存在感ある12時インデックスという結論に達しました

写真:酒井 清隆

次世代へと受け継がれていく「デザイン精神」

グランドセイコーは、その誕生以来、時代を超えて受け継がれてきたブランド哲学や類稀なる匠の技、高度な製造技術によって、絶え間なく進化を続けてきました。酒井がウオッチデザイナーとして大切にしているのは、「道具としての、腕時計のあるべき姿を追いかけること」です。

「これは先輩方から教わったことであり、自身が常日頃から心がけていることです。長く使い続けられることに重きを置くグランドセイコーの腕時計をデザインする上で、“必要とする人のための道具を作る”という意識を持つことはデザイナーにとって不可欠であると自負しています。また、『なぜ、このデザインにしたのか?』と聞かれた時に、造形にしろ、色にしろ、腕時計を構成するディテールのすべてに必ず理由をもたせています。徹底して意味づけすることによって、腕時計により深みが増し、もののあるべき姿に近づいていくということも、先人たちから学んだ教えです」

写真:SLGH005

こうしたデザイン精神を受け継いでいくこともまた、腕時計の本質を果てしなく追求するグランドセイコーにとって、その「道」を究めるために欠かせないエッセンスです。研ぎ澄まされた感性と叡智を駆使し、酒井をはじめ、グランドセイコーのデザインチームが一丸となって作り上げた新デザイン、Evolution 9 Style。それは落ち着いた美しさと凛とした存在感を放ちながら、次なる時代に向かって新たな歴史を刻み始めています。