知れば知るほど感動が尽きない、食体験の探求を続ける
—— 平野紗季子(フードエッセイスト)
下町の喫茶店から海外のガストロノミーまで、日常や旅先での食体験を瑞々しい言葉で綴り、ラジオ/ポッドキャスト番組「味な副音声 ~voice of food~」も好評を博す、フードエッセイストの平野紗季子さん。“時を食む”をコンセプトとした期間限定の「Grand Seiko 和菓子屋 とき」をプロデュースするなど活躍の場を広げる彼女が、気鋭の日本茶専門店「櫻井焙茶研究所」を訪れ、四季の味わいを重んじる“和”のクラフトマンシップに思いを馳せた。
Photos: 森山将人(TRIVAL) Masato Moriyama
Words: 岩崎香央理 Kaori Iwasaki
モダンな空間でいただく四季折々のお茶
東京・表参道で日本茶の自家焙煎とオリジナルブレンドの開発を手がける「櫻井焙茶研究所」。ガラス張りの焙煎室から立ちのぼる焙じ茶の香りに迎えられ、平野さんは奥の茶房へと案内される。まだ暑さが残る9月中旬。今日はどんなお茶をいただけるのだろう。
代表の櫻井真也さんが「ちょうど今のお茶ですよ」と取り出したのは、煎茶といちじくの葉とスペアミントのオリジナルブレンド。この時期、街を歩いていてふわりと漂ってくるいちじくの葉の香りが、平野さんは大好きだという。
櫻井さんは、全国の生産者から選りすぐりの茶葉を取り寄せ、暦の二十四節気をベースに自然素材を混合するなど、お茶の新たな可能性を追求するマイスター。
新茶だけではないさまざまな旬の楽しみ方を提案し、フリーズドライの花や果実を茶葉と合わせたり、お茶とお酒、または料理とのペアリングを推進したりするなど、日本茶の世界に革新をもたらしている。
日本茶の概念を覆し、アイデアをかたちに
無駄のない端正な所作で櫻井さんがお茶を淹れる。湯気とともに香りが開いた1煎目を、すぐさまグラスの角氷に注いで冷茶仕立てに。ゆっくり深呼吸するようにひと口味わい、いちじくの葉とスペアミントの甘やかな喉越しに感動した平野さんは、「これ、すごいですね」と声を上げた。
「ちょっと自分がどこにいるのか、見失ってしまいそうな感じ。いちじくの葉の香りって、街でふとした時に出合うと、まるでこの世のものじゃないような、ここではないどこかを思わせる特別な香りなんです。それをまさに閉じ込めたみたい。ミントもぴたりと合っていて、季節の終わりと始まりがグラデーションになって押し寄せてきて、胸の奥に迫る味」
夏の終わりと秋の始まりが交錯するイメージです、と櫻井さん。
「いちじくは旬の素材。その葉の味と香りを軸に、それに合う煎茶をブレンドしました。滋賀県・朝宮のやぶきたという品種。朝宮のお茶は旨味よりもすっきりとした香りが特徴で、いちじくの香ばしさを伸ばしてくれます。煎茶だけだといちじくが少し強く出てしまうので、もうひとつなにかほしいなと思い、ミントを合わせました」
ほかにもこの時期、玉露と菊、かりがねとホップ、煎茶と柿といった具合に、日本茶の概念を覆すアイデアをかたちにし、これまでにざっと350種ものユニークなブレンド茶を編み出してきた。秋は秋で一番のお茶があり、冬には冬の一時期にのみ際立つ味があるという。櫻井さんのそうした言葉に、平野さんは日本料理の世界観にも共通する深いまなざしを感じ取った。
「日本料理の匠の技って、決して目に見える技術だけじゃない。この季節、この今にしかあり得ない美しさを見逃さないまなざし、一瞬しかない美しさへの頑ななまでの誠実さだと思うんです。グランドセイコーのブランドフィロソフィー、“THE NATURE OF TIME”がそうですよね。櫻井さんもきっと、東京の真ん中にいながらにして、高い解像度で風や温度を感じ取り、この瞬間に輝くものを的確に抽出されているんだと思う」
時を食み、過去と未来をつなげる
さらに、新茶や玉露がヒエラルキーの上位に固定化された日本茶の世界で、多面的な価値を掘り起こしていく櫻井さんの姿勢は「かなりパンク」だと、平野さんは評する。
「だけどそれは、二十四節気といった歴史文化を紐解いた上につくられるもの。昔の人が旬を大切にすることに込めてきた切実な祈りや願いを受け取るのが、“時を愛でる、時を食む”ことだと思うんです。私はこれからも食を通じて過去と対話をしたいですし、その出合いを感じられたら、料理がもう単なる味だけではなくなって、さまざまな時空へ開かれるきっかけとなっていく。知れば知るほど感動は尽きないし、自分も伝える立場として、食体験へのよりよいドアをつくりたいですね」