グランドセイコーの新境地を拓く 「Evolution 9 Collection」
Vol.1
TOP2020年に新開発されたキャリバー9SA5を搭載したグランドセイコーのデザインはかつてないものだったが、それは歴史に裏打ちされた芯の通ったものであった。その意匠はコードとしてまとめられ、やがてEvolution 9スタイルとして結実した。
デザインを手掛けた酒井清隆は、どんな狙いを新しいデザインに込めたのだろうか?
1967年に発表された通称「44GS」は、グランドセイコーの在り方を決定付けた腕時計であった。事実、この腕時計に盛り込まれたデザインは、後に「グランドセイコースタイル」として体系化され、グランドセイコーのデザインを確固たるものにした。世に時計メーカーは多いが、腕時計のデザインコードを明文化したのは、おそらくグランドセイコーぐらいではなかったか。
そんな「グランドセイコースタイル」をアップデートしたものが、Evolution 9が採用した新しいデザインコードである。狙いは、時代的な制約からの解放。担当したのは、酒井清隆だった。
2018年11月に、グランドセイコー向けの新キャリバーが開発中と聞いた酒井は「最高のムーブメントを載せるモデルには、その本質を体現できるデザインが必要だと感じた」と語る。傑出した新型自動巻のキャリバー9SA5を収めるであろう腕時計は、どういうデザインを持つべきなのか? 彼は、そもそもグランドセイコーとはどんな時計なのか、から考えたという。
果たして完成したのが、9つのデザイン要素を盛り込んだ、通称“白樺モデル”ことSLGH005のデザインであった。そもそもこれは、SLGH005のために起こされたものだった。しかし、酒井のまとめたデザインは、まさしくこれからのグランドセイコーに必要な要素を十二分に備えていたのである。44GSがそうであったように、SLGH005の造形はデザインコードとして抽出され、Evolution 9スタイルとして結実した。この新しいデザインのポイントは、大きく3つある。長年、グランドセイコーが追求してきた審美性と視認性、そして優れた装着感をさらに進化させた新しい要素だ。
「グランドセイコーのキャラクターとは、機能的には真面目で質実剛健ですね。加えて、新しいムーブメントのキャリバー9SA5は先進的です。であれば、デザインでも新たな解釈を加えようと思いました」。グランドセイコーとは何かを考えてきたデザイン部の酒井清隆は、そのヒントを往年のグランドセイコーに見いだした。
「かつてのグランドセイコー、例えば61GS V.F.A.などは、時計としての高い精度を、細いインデックスで表現していました。今回はそれを、ケースデザインで表現したかったんです」。具体的には、ベルトを固定する4本のかん足を腕に沿って曲げるのではなく、できるだけストレートに仕立てたのである。酒井は高精度の象徴だった細くて長いインデックスを、直線状のかん足に翻訳してみせたわけだ。加えて、かん足そのものも、あえて短く落とされた。
「先端が伸びているグランドセイコーのかん足は、装着性の向上に加えて、塊としての格好よさを重視したものでした。Evolution 9の最初のデザイン案でもやはりかん足を下側に曲げていました。しかし、最終的にはあえて先端を上げました」。その切り立ったかん足には、酒井が影響を受けた彫刻の考え方が見え隠れする。
「彫刻は重い素材を使うことが多いのですが、完成品は軽く見えないといけないんです。ぐにゃっとした張りのない造形ではなく、シャキッとした緊張感を良しとするんです。今回は、量感はあるけれども、軽く見えるようなケースを作りたかった」。もっとも、酒井は軽快さだけを盛り込んだわけではなかった。新たに盛り込まれたのは、新しい時代にふさわしい仕上げだった。 「Evolution 9のデザインで意識したのは光と陰でした。今までのグランドセイコーは鏡面を大きく取ることで、ドレッシーさを強調していました。あえて言うと、スーツに似合うビジネスシーンに向いたデザインと仕上げですね。対してEvolution 9は、現代の働くシーンを想定していて、スーツだけでなく、活動的な格好でも似合う時計にしたかった」
そこで酒井は、44GSを代表とするグランドセイコーの個性とも言える鏡面を抑え、代わりに筋目を増やしたのである。もっとも、彼の狙いは、筋目仕上げそのものではなく、光と陰のコントラストの強調にあった。「鏡面の面積を小さくし、筋目の面積を増やしたのは、外装の鏡面をいっそう際立たせるためでもありました。鏡面部分を細くすると際立つでしょう」。つまり、最近のグランドセイコーが取り組んできたメリハリが、より強く打ち出されたのである。
「最初は、ベゼルの上面も鏡面仕上げにしようと思っていました。しかし、鏡面だと周りの光を拾って馴染んでしまうため、筋目仕上げを施し、形状をはっきりと見せることで堂々とした印象を与えました。あえて深く筋目を施したのは、浅いと時計全体が白くぼやけてしまうためです」。また、ストレート状のかん足は、あえて先端を斜めに断ち切ることで、最近のグランドセイコーが深化させてきた立体感を巧みに残している。
Evolution 9スタイルでは、グランドセイコーの個性である視認性にも手が入れられた。腕時計を見てまず目を引くのは、メリハリの効いたインデックスと時分針だ。
「グランドセイコーの上位キャリバーを載せている、という価値を見せたかった」と語る酒井は、最初のデザインから12時位置のインデックスを大きくしようと考えていた。「インデックスを太くすることで、これが新しいグランドセイコーだ、というのを一目で分かってもらいたかったんです。新しいアイコンであるというだけでなく、機能的であるというグランドセイコーの本質も強調したかった」
高い視認性を際立たせるのが、大きなインデックスと、太さの違う時分針だ。「グランドセイコーに求められる機能を掘り下げる中で、本当に優れた視認性とは何かを考えました。そこで、時分針の太さを変えたほうがいいと思いついたのです。最初のデザインでは、時分針共に先端を尖らせましたが、どうも思っていたのとは違う。そこで時針だけ先端を切って、インデックスの先端と重なるようにしました」。太い時針のおかげで、一瞥しても大まかな時間が読み取りやすく、細い分針のおかげで、しっかり見ると今の正確な時間が分かる。なるほど、機能的によく考えられた意匠だ。
針とダイヤルの隙間も詰められた。グランドセイコーは針とダイヤルのクリアランスに余裕を持たせてきたが、Evolution 9では、その間隔が詰められた。また、斜めから見ても時間が読み取りやすいよう、分針と秒針の先端がダイヤル方向に大きく曲げられたほか、ダイヤルの外周に内側に傾斜している「リング状のパーツ」をはめ込み、その傾斜に目盛りを印刷することで、針と目盛りの距離を極限まで近づけている。
審美性と視認性は、今までのグランドセイコーが追求してきた要素である。Evolution 9スタイルの新しさは、そこに装着感という要素を加えたことにある。
「1967年にグランドセイコースタイルを確立した44GSは、薄い手巻ムーブメントを載せていました。ですから、デザインにあたって優れた着け心地を考える必要がなかったのです。しかし、ムーブメントが自動巻になり、加えて頑強さが求められるようになると、ムーブメントが厚くなっていきました。装着感を考えざるを得なくなった理由です」
酒井がまず取り組んだのが、低い重心である。重心が低くなるほど時計がぐらつきにくくなるのは、クルマに同じだ。ムーブメントの位置をできるだけ裏ぶた側に近づけることで、Evolution 9は、時計本体部分の重さが腕側に近くなった。また、44GS以降のグランドセイコーはケースの側面を裏ぶた側に絞るデザインを持っていたが、今回はあえて少し「肉」を残したという。「裏ぶた側を削りすぎないことで、重心が上がらないようにした」と酒井は説明する。立体的なガラスも、重心を下げるための試みである。実際の違いはわずかだが、ボックス型サファイアガラスやデュアルカーブサファイアガラスを使うと、ガラス縁の高さが大きく抑えられるほか、見た目も薄くなる。
「ボックス型のような立体的なガラスを採用すると、時計はアンティーク風に見えてしまいます。しかし、Evolution 9のデザインではそれをやりたくなかった。グランドセイコーは20年以上もボックス型サファイアガラスを採用してきたので、どうすればスッキリとした見た目になるのかというノウハウを持っています」
ブレスレットも全面的に見直された。今までは直径40mmのケースに対して、ブレスレットの幅は20mmだった。対してEvolution 9では、ブレスレット幅が22mmに広げられたのである。ブレスレットを太くすると、時計の重さは分散され、着け心地は改善される。
「ブレスレットは幅を広げただけでなく、取り付け位置から見直しました。また、今までのものに比べてすべてのコマの長さを1mm短くすることで、フィット感を上げました。かん足とブレスレットがつながって見えるよう、厚みも増しています」。ブレスレットが厚くなった結果、時計本体とブレスレットの重さのバランスが取れるようになった。もっとも、新しいデザインコードで一から仕立て直されたものの、酒井はグランドセイコーらしさをブレスレットに残した。「今までブレスレットに活用していた細い鏡面のコマは残しながら、今回は筋目仕上げにしています。今までのグランドセイコーのスタイルを継承していますよ」
このEvolution 9のデザインを発展させたのが、Evolution 9 Collection スポーツモデルのデザインだ。その特徴は、審美性、視認性、そして装着感という要素を受け継ぎつつも、よりアクティブなシーンに対応したデザインであること。酒井はこう説明する。「Evolution 9スタイルの本質がぶれていなければ、違うムーブメントを載せたモデルや、スポーツモデルへの転用も可能だと思いました。インデックスと針に対する考え方や、重心も低くするというEvolution 9スタイルの方法論は、スポーツウオッチにも使えるでしょう」。デザインに盛り込まれたのは、日本的なスポーツの在り方だった。
「日本のスポーツとは、他者と戦うためにあるのではなく、精神性を高めるためのもの。つまり、ブレない心が形になれば、日本のスポーツウオッチになるのではないかと思ったのです」
厚いムーブメントの搭載を考慮して、デザインは立体感を強調したものとなった。しかし、ボックス型サファイアガラスやデュアルカーブサファイアガラスの導入で、時計本体の重心は低く抑えられたほか、今のスポーツウオッチにありがちな、角張った造形は廃された。
「動いている時に最適な形を目指しました。腕を動かしている時にさっと時計が現れるようにしています。そのため袖に引っ掛からないことを重視しました」
1967年に登場した44GSをベースに、グランドセイコーのデザイン文法として確立されたグランドセイコースタイル。それから半世紀を経た2022年、そのグランドセイコースタイルを補完するように、新たに体系化されたグランドセイコーのEvolution 9スタイル。そのデザインコードは、まさにグランドセイコーの未来を指し示す道しるべと言っても過言ではない。
次回は、その最も先鋭的なスタイルであるEvolution 9 Collection スポーツモデルを見ていく。
To be Continued……