Caliber Stories
Produced by chronos for Grand Seiko
異次元の性能を手に入れた新世代スプリングドライブの革新性を見る
Vol.3
堅牢性を持たせつつ薄型化を成し遂げたキャリバー9RA2の真骨頂
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これ以上の進化は難しいと思われていたスプリングドライブ。しかし、新しいキャリバー9RA系は、パワーリザーブを約72時間から約120時間に延ばしただけでなく、精度を高めるための温度補正機能も加えられた。それだけではない。キャリバー9RA系には、薄さと頑強さという相反する特徴が盛り込まれたのである。
- 三田村 優:写真
- Photographs by Yu Mitamura
- 広田雅将(『クロノス日本版』編集長):取材・文
- Text by Masayuki Hirota (Editor-in-Chief of Chronos Japan Edition)
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ノウハウを総動員した薄型化
動力ぜんまいの解ける力で時・分・秒針を動かし、発電も行い、その電力で水晶振動子(クオーツ)を作動させるスプリングドライブ。機械式ムーブメントとクオーツムーブメントの「いいとこ取り」であるこの機構は、どうしても部品数が増え、特徴的なレイアウトとなってしまう。スプリングドライブのムーブメントを薄く、小さくしにくい理由だ。
しかし、グランドセイコーは新しいスプリングドライブの開発にあたって、性能を上げるだけでなく、その薄型化にも挑んだ。完成したキャリバー9RA系の直径は34mm、厚さ5mm。ケースに収めた状態を比較すると、直径はキャリバー9R6系とほぼ同等、厚さは0.8mmも減った。今や、普通の機械式ムーブメントならば、より小さく、薄く作ることは難しくなくなった。しかし、ぜんまいの解ける力で輪列を動かし、発電して電磁ブレーキで制御するという他に類を見ない複雑な機構を持つスプリングドライブは、小型化、薄型化は極めて難しい。では、グランドセイコーは、どうやってそれを実現したのだろうか?
<ムーブメントの厚さ>
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左は2004年発表のキャリバー9R65、右は2021年発表のキャリバー9RA2である。ムーブメントが0.8mm薄くなったほか、針の取り付け位置も0.4mmダイヤルに近くなった。また、りゅうずの位置を裏ぶた側に近づけることで、ムーブメントの重心が下がり、着け心地がよくなった。
グランドセイコーのスプリングドライブを設計・製造するセイコーエプソンは、キャリバー9RA系に先駆けて、ケースを薄くする努力を続けてきた。ムーブメントをケースに収める際の取り付け方法を工夫することで、同じムーブメントでありながら、ケースを薄くしたのである。しかし、さらに薄くするには、ムーブメント自体を薄く作るしかない。キャリバー9RA系の開発目標に、当初から薄さが盛り込まれていた理由だ。
<各針間のクリアランス>
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衝撃が加わった際、針がたわんでダイヤルに当たらないよう、グランドセイコーはダイヤルと針の間隔を意図的に開けていた。キャリバー9RA2は、従来通り安全性に考慮し、針とダイヤルの接触を避けるクリアランスを保ちながら、針の取り付け位置をダイヤルに近づけた。加えて、秒針と分針の先端がわずかに曲げられたため、斜めから見た時に時刻がいっそう読み取りやすくなった。
仮にグランドセイコーに使うのでなければ、複雑なスプリングドライブであっても、薄型化・小型化は可能である。しかし、グランドセイコーで重要なのは、何よりも正確さと頑強さである。仮に薄くしても、壊れやすくなったら意味がない。セイコーエプソンの技術陣は、あらゆるノウハウを投じて、スプリングドライブの薄型化に取り組んだ。
<カレンダー窓枠と日付表示のクリアランス>
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キャリバー9RA2を載せたモデルは、針だけでなく、日付表示とダイヤルのクリアランスも狭くなった。針同様、斜めから見た際に日付を読み取りやすい。
キャリバー9RA系の設計にあたっては、そもそもの発想から見直された。今までのグランドセイコーが載せるスプリングドライブムーブメントは、部品を上に積み重ねる設計を持っていた。これは、機械式ムーブメント設計の定石だ。対してキャリバー9RA系では、ムーブメントの土台にあたるベースプレート(地板)を広げることで、部品を重ねるのではなく、水平方向に散らしたのである。それを象徴するのが、自動巻機構のオフセットマジックレバーだ。
キャリバー9RA系を含むすべての自動巻スプリングドライブは、ムーブメントの裏ぶた側にある回転錘の両方向の回転運動を、マジックレバーというハサミ状の部品で一方向の回転運動に整流し、動力ぜんまいを巻き上げている。コンパクトで抵抗が少なく、摩耗しにくいマジックレバーは、今や世界の名だたる時計メーカーが採用する自動巻機構となった。しかし、この優れた自動巻機構にも、ひとつだけ弱点があった。厚みはないが、垂直方向にスペースを取ってしまうのである。
対して、設計に携わったセイコーエプソンの開発チームは、回転錘の真下にあるマジックレバーの軸を水平方向にずらすことで、自動巻機構の厚みを減らそうと考えた。しかし、これは簡単ではなかった。軸をずらすために歯車を追加すると、自動巻機構の抵抗が増えて、動力ぜんまいの巻き上げ性能が落ちてしまうのである。普通の機械式時計ならば、少し巻き上げが悪くなっても問題は起きにくいが、スプリングドライブは、動力ぜんまいの解ける力で針を動かし、かつ発電もする。最低でも72時間のパワーリザーブを持つグランドセイコーの自動巻スプリングドライブは、優れた巻き上げ性能が必要なのである。
<マジックレバーの位置>
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薄型化のカギとなったのが、中心からずらしたオフセットマジックレバーだ。回転錘と同軸にあるマジックレバーを水平方向に移動させることで、自動巻機構の薄型化に成功した。また、マジックレバー自体も約30%小型化された。マジックレバーが小さくなっても、巻き上げ効率は今までのものとほぼ変わらない。
仮に動力ぜんまいの巻き上げが悪くなり、発電量がわずかでも落ちてしまうと、最悪の場合、時計が正確に動かなくなってしまうのである。
そこでキャリバー9RA系では、回転錘を含む自動巻機構全体の「最適化」が図られた。回転錘を支えるボールベアリングはスチールから、抵抗が小さく、摩耗しにくいセラミック素材に置き換えられた。また、テコの原理を利かせて巻き上げやすくするため、マジックレバーを支える部分にはクランク車が採用された。加えて、自動巻を支える軸の直径も、抵抗を増やさないため、あえてキャリバー9R6系と同じサイズに留められた。その結果、マジックレバーを約30%も小さくしたにもかかわらず、キャリバー9RA系の巻き上げ効率は、既存のキャリバー9R6系とほぼ変わらなくなったのである。単に薄くするだけではなく、今までの性能を落とさないというのは、いかにもグランドセイコーらしい。
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左はキャリバー9RA2にマジックレバーを取り付けた状態。ムーブメントのサイズに比べて、マジックレバーが小さいのが見て取れる。右はオフセットマジックレバーを横から見た写真。マジックレバーの支点に取り付けられた軸(左)が、中心からずれているのが分かる。あえてクランク状に成形することで、回る際の動きを大きくしている。
部品を水平方向に分散させることで薄型化を果たしたキャリバー9RA系。理論上はムーブメントが大きくなってしまうが、ケースに組み込んだ際のサイズは、既存のキャリバー9R6系と同等だ。設計を担当した平谷栄一は「今までの9R6系は、ムーブメントの外周に耐磁リングを置いて、耐磁性能を高めていました。しかし、9RA系はムーブメント自体の耐磁性能を上げた結果、耐磁リングが不要になり、ケースに収めた際のサイズは9R6系と同等になりました」と説明する。
<耐磁構成部品の小型化>
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ムーブメント自体の耐磁性能を高めたキャリバー9RA2は、今までのような大きな耐磁リングと耐磁板(左写真)でムーブメントを囲む必要がなくなった。中央写真(左側の弓型の部品と右側上部の逆三角形の部分)と右写真はいずれも、耐磁性を高めるための部品である。さまざまな役割の異なる各部品に耐磁性も持たせ、かつ分散して配置することで、耐磁構成部品を小型化し、今までと同じサイズのケースに、キャリバー9RA2を載せることが可能になった。
また、薄型化させる中で機構の上でも可能な限りの改良を同時に行っている。カレンダー機構の設計を見直し、従来90分ほどかかっていた日付の切り替えは30~40分に短縮された。開発チームは、薄型化を実現させるにとどまらず、細部にわたってキャリバー9R6系から進化させることを目指したのである。
堅牢性を実現したワンピースセンターブリッジ
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キャリバー9RA系に頑強さをもたらしたのが、1枚板のワンピースセンターブリッジである。写真の通り、大きな1枚の板(ブリッジ)で多くの歯車などを支えている。ムーブメントが薄くなったにもかかわらず、この部品のおかげで、ダイバーズウオッチに使えるほどの頑強さを得た。
普通は、ムーブメントが大きく、かつ薄くなると、どうしても壊れやすくなる。しかし、キャリバー9RA系は薄くなる一方で、今までと同等以上の頑強さを持っている。それは、キャリバー9RA2の1年前に発表された、キャリバー9RA5が、まずはグランドセイコーのダイバーズウオッチに搭載されたことからも明らかだ。そもそも強い衝撃を受けるダイバーズウオッチに、薄いムーブメントは向かないとされている。しかし、キャリバー9RA系の丈夫さに自信があったグランドセイコーは、果敢にもそのルールを破ったのである。
キャリバー9RA系に頑強さをもたらしたのが「ワンピースセンターブリッジ」という部品だ。スプリングドライブを含む時計のムーブメントは、歯車などの構成部品を、土台にあたるベースプレート(地板)と、屋根にあたるブリッジ(受)で挟んでいる。さらに、動力ぜんまいや歯車に加えて、ICとローター、そして水晶振動子を持つスプリングドライブは、さらにその中にあるセンターブリッジで部品を押さえている。建物でいうと、「中二階」があるようなものだ。そもそもこれは部品を押さえるものでしかなかったが、薄さを追求したキャリバー9RA系ではその意味が少し変わった。強い衝撃を受けてもムーブメントを歪みにくくするため、中二階にあたるブリッジを分厚い1枚板で仕立てたのである。
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信州 時の匠工房で組み立てられる前のワンピースセンターブリッジ。今までは複数に分割されていたセンターブリッジを1枚にまとめることで、高い剛性を得た。しかし、今まで複数の受で押さえていた基本輪列、パワーリザーブ輪列、巻上輪列を構成する14の部品を同時に固定するため、取り付けはかなり難しくなる。
スプリングドライブを動かす歯車は、上下にわずかでも擦れてしまうときちんと回転しない。また仮に部品を正確に取り付けても、そもそも支えるブリッジとベースプレートが平たくないと、やはり動かない。ワンピースセンターブリッジの採用には、グランドセイコーが誇る精密な部品製造と高度な組立技術なくしては成り立たないのである。
細かなノウハウを投じることで、高性能に加えて、薄さと頑強さの両立に成功したキャリバー9RA系。しかし、その美点はまだほかにもある。次回は、キャリバー9RA系が持つ、かつてないムーブメントの仕上げを取り上げる。
To be Continued......