Caliber Stories
Produced by chronos for Grand Seiko
異次元の性能を手に入れた新世代スプリングドライブの革新性を見る
Vol.6
匠の手仕事による緻密な仕上げがかなえた「Evolution 9スタイル」外装の作り込み
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製造中の「白樺ダイヤル」。プレスで施された深い模様や、分厚く塗られたラッカーなど、グランドセイコーのダイヤル製作で培われたノウハウの、いわば集大成である。
新たなEvolution 9スタイルを打ち立てた「Evolution 9 Collection」。それを可能にしたのは、入念な作り込みだった。グランドセイコーに新しいカタチをもたらした匠の技を、スプリングドライブとクオーツモデルを製造する、セイコーエプソンの塩尻事業所に見る。
- 吉江 正倫:写真
- Photographs by Masanori Yoshie
- 広田雅将(『クロノス日本版』編集長):取材・文
- Text by Masayuki Hirota (Editor-in-Chief of Chronos Japan Edition)
世界を魅了する「白樺ダイヤル」ニュアンスの秘密

高級感と視認性を両立する「隠し味」が、ダイヤルの表面に吹き付けるクリア塗装だ。写真は白樺ダイヤルの美しい白さを長く維持するためのベースを作る工程である。
グランドセイコーのふたつの製造拠点、「信州 時の匠工房」のある長野県と「グランドセイコースタジオ 雫石」のある岩手県には、どちらも日本有数の美しい白樺林が群生している。その白樺林からインスピレーションを受けて作られたのが、グランドセイコーの名前を一躍世界に轟かせた通称「白樺ダイヤル」だ。プレスで白樺の模様を施したこのダイヤルは、プレス模様を超えた精密さを持つだけでなく、グランドセイコーの哲学である「THE NATURE OF TIME」を体現したものだった。ケースだけでなく、ダイヤルでも高い評価を受けるグランドセイコー。本作は、その代表作と言えるものだ。
時計のダイヤルと言っても、その製法は数え切れないほどある。下地の模様は削って付けるのか、それともプレスで施すのか。そして、色はめっきで施すのか、あるいはラッカーを吹き付けるのか。世界に時計メーカーは数あれど、それらのほぼすべてをマスターしているのがグランドセイコーなのである。とりわけ、プレスで深い模様を施し、その上に厚くラッカーを重ねる手法で、グランドセイコーは頭ひとつ抜きんでている。
セイコーエプソンの塩尻事業所では、グランドセイコーのスプリングドライブとクオーツムーブメントはもちろん、ダイヤルやケース、針まで自製している。「Evolution 9 Collection スプリングドライブ 5 Days SLGA009」のダイヤルも、もちろん塩尻製だ。
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他社には決して真似できないグランドセイコーのダイヤル。分厚い真鍮の板にプレスをかけた後、厚い銀めっきを施し、たっぷりとラッカーを載せていく。十分な時間をかけて乾燥させた後、表面を研ぎ上げると、独特の質感を持つダイヤルとなる。
もっとも、メカニカルモデルとスプリングドライブモデルのダイヤルは、同じ白樺ダイヤルでも少し異なる。プレスで白樺模様を施すのはどちらも同じ。しかし、メカニカルモデルが力強いハイビートの秒針の動きや、壮大な白樺林のダイナミックさと調和する立体感を強調した仕上げであるのに対し、スプリングドライブモデルはスプリングドライブムーブメントならではの流れる秒針の動きや、厳冬期の真っ白な白樺林の静寂さと調和する繊細さを打ち出している。プレスで細かい模様を施すのは難しいとされるが、金型を手作業で彫ることで、木肌の様子を忠実に再現してみせた。製法はかなり複雑だ。真鍮の板にプレスを施して白樺の模様を打ち出し、その上から銀めっきを施し、さらに分厚くラッカーをかける。白樺模様が極めて立体的に見えるのは、分厚くラッカーをかけるため。モデルによって異なるが、セイコーエプソンが製作するグランドセイコーのダイヤルは、一般的な高級時計に比べて、10倍以上もの厚い塗膜を持つ。グランドセイコーのお家芸とも言える分厚いラッカー仕上げは、そもそも強い紫外線を受けてもダイヤルを傷めないためのものだった。しかしグランドセイコーは、その厚みを逆手に取って、今や他社に真似のできない深みへと置き換えたのである。
普通、どのメーカーも、ラッカーを厚く吹きたがらない。どうしても気泡が入るし、乾燥にも時間がかかるためだ。しかしセイコーエプソンは、分厚いラッカーに気泡を入れずに塗る技術を確立させた。乾かす手間は必要だが、厚いラッカー仕上げは、ダイヤルが傷みにくく、ダイヤルにも独特の深みを与える。
「Evolution 9 Collection」スポーツモデル外装の進化をSLGA015に見る
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「Evolution 9 Collection スプリングドライブ 5 Days Diver’s 200m SLGA015」の製作にあたって、デザイナーとセイコーエプソンは幾度となく議論を交わした。それを示すのが、ダイヤルのプロトタイプだ。一番上が、最初の試作版。その後ダイヤルに「黒潮」模様が施され(中右と中左)、最終的には下の完成品となった。ダイヤルは立体的に見えるが、白樺同様、表面はフラットだ。
グランドセイコーのダイヤルに対する取り組みは、新作の「Evolution 9 Collection スプリングドライブ 5 Days Diver’s 200m SLGA015」にいっそう明確だ。ラッカー仕上げを得意とするグランドセイコーは、そもそもブラックダイヤルの製作に長けている。黒はめっきだとはっきりした色を出しにくいため、塗装が良いとされている。しかし、黒いラッカー仕上げは乾燥に時間がかかるため、採用するメーカーは多くない。
SLGA015のダイヤルは、白樺同様、下地にプレスで深い模様を施している。モチーフに選ばれたのは、日本列島に沿って東に流れ、房総半島沖に達する黒潮だ。最初に作った原型は、まったく模様のないもの。ふたつ目はダイヤルに黒潮模様を施したが、波が強かったという。3番目の試作品は、対して波が弱くなった。試行錯誤を経て完成したのは、視認性を邪魔しない程度に、波が主張するものになった。単なるブラックダイヤルではなく、しかも模様を加え、さらにダイバーズウオッチとして使える実用性を盛り込む。色の選び方も絶妙だ。現在セイコーエプソンは、十数種類のブラックを持っている。その中で、半分ツヤを落とした色を選び、さらに表面にわずかにツヤを落としたクリアを吹いて、高級感と視認性を両立してみせた。もっとも、グランドセイコーのノウハウはそこに留まらない。
①印字プロセス
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(左上)パッドに転写したインクをダイヤルに押し付けるプロセス。(右上)パッドに転写されたインク。一般的にはシリコン製のパッドを使うが、セイコーエプソンではよりインクを拾いやすいゼラチンを用いている。ゼラチンのパッドはメンテナンスが大変なため、採用するメーカーは稀だ。(左下)インクを転写するための版。インクを載せた板をヘラでこすると、凹んだ部分のみにインクが残る。(右下)板にゼラチンパッドを押し付けると、インクがパッドに移る。
黒いダイヤルが難しい理由のひとつが、はっきりした印字を与えにくいことだ。暗い地に明るい色を載せると、どうしても下地が透けてしまうという問題があった。しかし、セイコーエプソンは明確な印字を施すノウハウを持てるようになった。以前は、鮮やかな印字を与えるため、複数回印字を転写していた。しかし現在は、1~2回で盛れるようになった、とのこと。回数が少ないと、色が透けやすくなる半面、文字の周囲が歪みにくくなる。セイコーエプソンは、明確な印字と、しっかりした色を両立させたのである。
②インデックスのダイヤモンドカットと広い蓄光塗料面積
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「Evolution 9 Collection」のインデックスは、今までのグランドセイコー以上に面の数が多い。写真の12時インデックスも面が多く複雑な形状だが、一段取りと呼ばれる、インデックスの位置を固定して多面カットを施すことで、位置ずれのない、高精度で美しいカット面を生み出すことができる。
幅広いインデックスが特徴の「Evolution 9 Collection」。これも実現が難しかったもののひとつだ。そもそもグランドセイコーのインデックスは、複数の面にダイヤモンドカットを施している。これは、ダイヤモンドをセットした工具で、部品の表面をカンナがけするようなものだ。ひとつの面に、しかも狭い幅で入れるなら問題はない。しかしグランドセイコーのように、複数の面に、しかも広い幅で「カンナがけ」をするのは難しい。しかも、「Evolution 9 Collection」は、その幅をさらに広げたのである。ひとつの面をならしたら、違う面にダイヤモンドカッターを当てていく。今回は加えて、その広いインデックスに、蓄光塗料をたっぷり盛った。表面張力で盛り上がった蓄光塗料は、丁寧に重ね塗りを行うことで施されたもののみの特徴だ。
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「Evolution 9 Collection」スポーツモデルのインデックスには蓄光塗料が盛られている。表面張力で盛り上がった蓄光塗料は、複数回に分けて塗られている。周囲にはみ出ないギリギリまで、蓄光塗料を載せていく。
③脱落しないインデックスのカシメ
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ダイヤルにインデックスをはめ込むプロセス。傷が付かないよう、ピンセットはプラスチック製。インデックスの裏側に立てられた2本の足を、ダイヤルのふたつの穴に押し込んでいく。
すべてのグランドセイコーに同じく、この幅広いインデックスは、ダイヤルに対して強固に固定される。2本の「足」を立てたインデックスをダイヤルの穴に差し込み、裏から軽くプレスして固定するのは多くの高級時計に同じ。しかし、グランドセイコーには、絶対にインデックスが外れない配慮が施されている。
ひとつは、裏側からの接着。時計師以外は目にしないディテールだが、ダイヤルの裏側を見ると、それぞれのインデックスの裏側には、接着剤が塗られている。足を固定するだけでなく、接着剤を併用することで、グランドセイコーのインデックスは、絶対に外れないようになっている。
もうひとつの特徴が、足を差し込む穴だ。普通は円柱状だが、グランドセイコーのそれは、裏側に向かって八の字状に広がっている。足を差し込み、裏側からプレスをすると、足が潰れて、ダイヤルから抜けにくくなる。当たり前のように思えるが、おそらく、他のメーカーでの採用例は皆無だ。グランドセイコーのダイバーズウオッチが、あえてインデックスを別部品にできる理由が、この凝った固定法なのである。
④ベゼルに施すセラミックインサート
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回転ベゼルに、セラミックス製の表示板を持つのが「Evolution 9 Collection スプリングドライブ 5 Days Diver’s 200m SLGA015」である。セラミックスの表示板は他社も採用しているが、壊れない配慮を加えたのがグランドセイコーの新しさだ。
SLGA015の回転ベゼルには、セラミックス製のプレートがはめ込まれている。普通は、接着剤や両面テープで固定するが、SLGA015のプレートは外周部のみ接触し、その他は隙間を設けて固定される。ベゼルの内側にパッキンをはめ込み、そこにプレートを押し込むという構造は、ショックを受けた際に、セラミックスを破損させないためのもの。硬い素材というイメージのあるセラミックスだが、強い衝撃を受けるとわずかにたわむ。そのためSLGA015では、あえてプレートとベゼルの隙間を開けることで、プレートの破損を防いだのである。決して目立たないが、壊れない配慮は、グランドセイコーの大きな特徴だ。また、万が一プレートが破損した場合でも、この構造を採用することでアフターサービスでの部品交換が容易に行える。
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表示板を回転ベゼルに固定する作業。接着剤や両面テープで固定するのが普通だが、SLGA015では、回転ベゼルに取り付けたパッキンに、表示板をはめ込んでいく。理由は、ベゼルと表示板の間にあえて隙間を設けるため。このわずかなクリアランスのおかげで、強いショックを受けた際、表示板はわずかにたわみ、衝撃を吸収する。
⑤ザラツ研磨とヘアライン仕上げ
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研磨剤を付けた回転する円盤にケースを当てて面をならすのがザラツ研磨という手法だ。平面にケースを当てていくため、角が丸くなりにくい。グランドセイコーの造形に、ザラツ研磨が欠かせない理由だ。その平面の仕上げに向いた手法を、「Evolution 9 Collection」スポーツモデルでは、曲面にも多用している。
薄く見せるだけでなく、りゅうずガード一体型ケースを持つ「Evolution 9 Collection」のスポーツモデル。この新しいケースにも、当然、グランドセイコーの特徴であるザラツ研磨が施されている。これは、そもそも、ケースによりフラットな平面を与えるための手法だ。研磨剤を付けた円盤を回し、そこにケースを当てて面をならしていく。シンプルに見える作業だが、力を入れ過ぎるとケースの形が変わってしまうし、弱すぎるとケースがぶれて、角が丸まり、ケースの形状が変わってしまう。スポーツモデルのケースにザラツ研磨を施しているのは丸田和恵さん。ザラツ研磨を手掛けて13年のエキスパートだ。
「グランドセイコーのケースは年々複雑になっているので、やりにくくなっていますね(笑)。Evolution 9 Collectionはりゅうずガードがあるからザラツ研磨が難しいのです。また4つの面にザラツ研磨を施して、先端の形状が揃ってないといけない。しかもブライトチタンという素材は、ステンレスよりも磨きづらいのです」
一応ケースを固定する工具はあるものの、そのモデルに合ったやり方は、自分で見つけていくとのこと。
「磨いたあとケースに筋目を施すのですが、それがどうなされるかも考えて、ザラツ研磨を施す必要があるのです」
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左上から、切削されたケース❶には、数回のザラツ研磨が施される❷。その後、バフ仕上げを全体に施して、鏡面を完成させる❸。バフをかけたケースは、筋目仕上げが施された後❹、検品を受けて完成❺となる。極めて複雑なグランドセイコーのケースだが、最終的なシェイプを決めるのは匠の技である。
「Evolution 9 Collection」の大きな特徴が、ケースの全面に施された筋目仕上げだ。回転するサンドペーパーに当てて付けるメーカーもあるが、セイコーエプソンでは、完全な手作業で筋目を施していく。
上田将大さんが「Evolution 9 Collection スプリングドライブ 5 Days Diver’s 200m SLGA015」のケースで、筋目付けを実演してくれた。彼はサンドペーパーを貼り付けた円盤に、ケースを当てて左右に擦りながら筋目を付けていく。
「ひとつの面を作るために、10往復ぐらいさせます。最初はシャリシャリした手触りですが、やがて軽くなるのです。りゅうずガードがあると、仕上げるのは厄介ですね」
ヤスリが減ってきたら、手で円盤を回し、新しいヤスリにする。ほぼ手作業を加えずにケースを完成させるメーカーが増える中、グランドセイコーのケース作りには、昔ながらの手仕事が今なお息づいているのだ。
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ザラツ研磨同様、筋目付けも完全な手作業だ。円盤に紙ヤスリを貼り付け、そこにケースを当てて左右に擦りながら筋目を施していく。一見簡単そうだが、均一に力をかけないと筋目にむらが出るだけでなく、ケースの角も丸まってしまう。しかも、平面だけでなく曲面にも施さなければならない。複雑な造形と筋目仕上げは両立しにくいと言われている。しかし、「Evolution 9 Collection」のスポーツモデルは、あえてそれに挑戦した。
匠たちの優れた技量が、デザインを飛躍させ、そして新しいデザインは、また匠たちを刺激する。グランドセイコーのデザインをさらに進化させた「Evolution 9スタイル」とは、デザイナーと匠たちが織りなす、いわば、ひとつの協奏曲なのである。
End