涌井 宏昌(Grand Seiko皮革職人)

The spirit of TAKUMI

上質な皮革に新しい命を吹き込む匠の技

時を超えて醸成されてきた日本の美意識を原点として、世界に通用する美しい日本の腕時計を生み出してきたグランドセイコー。そのデザインが織りなすさまざまな表情を、なお一層美しく引き立てているのが、レザーストラップです。腕時計を構成するパーツの中で、つけ替えることが可能なブレスレット/ストラップは、腕時計をつけるシーンに合わせて、その時々にふさわしい雰囲気を演出できるのも魅力です。

ストラップの色合いや厚さ、ステッチなどのディテールは、腕時計のデザインによってさまざまに異なります。そのため、グランドセイコーのレザーストラップの製造を担う匠たちは、抜き、漉き、仕立て、縫い、刻印に至るまで、すべての工程を手作業で行い、一本、一本を丹念に作り上げています。正確な時を美しく紡ぎ続けるグランドセイコーの腕時計を優雅に演出するレザーストラップ、その製造の裏側を追いました。

厳選された素材から生まれる、グランドセイコーのレザーストラップ

腕時計の本質を果てしなく追求するグランドセイコーは、変わることのない高精度・高品質を備えながら、日本らしい感性と品格をまとう、美しい腕時計を生み出してきました。その美学をレザーストラップに宿らせるため、素材選びから製造工程に至るまで、匠たちの英知と高度な職人技が凝縮されています。

グランドセイコーのレザーストラップの表材には、主に最高級のクロコダイルを使用しています。グランドセイコーでは、すでに製品化された皮革ではなく、レザーストラップに適したサイズの原皮を厳選し、ワシントン条約に則り、主にパプアニューギニアから、商社を通じて直接輸入しています。原皮は、「皮から革」へと、タンナーによる専用の「なめし加工」を施したのち、腕時計のデザインに応じて染色加工を行います。

写真:涌井 宏昌

「革の宝石」の異名を持ち、希少性が高いことで知られるクロコダイル。その最たる特徴は、「斑(ふ)」と呼ばれる、独特の気品に満ちたうろこ模様です。斑には、四角模様の「竹斑(たけふ)」と、丸模様の「丸斑(まるふ)」の2種類があり、これらの模様と、斑のしっとりとした特有の質感を活かすためのマット仕上げや半艶仕上げ、あるいは、斑の表面に光沢感を出すためのグレージング仕上げとの組み合わせによって、それぞれのデザインに適した素材に仕上げていきます。グランドセイコーのレザーストラップ製造を担う匠のひとり、涌井宏昌氏は、素材へのこだわりについてこう話します。

「クロコダイルは、個体が成長するごとに、斑の模様も大きくなり、厚さも増していきます。
レザーストラップは、腕につけるものであり、一般的なハンドバッグなどの革製品とは違って、幅や長さが極めて小さく、繊細なパーツです。ゆえに、クロコダイルの斑がレザーストラップとして仕上がった時に最も美しく映え、かつ、腕につけるものとして最適な厚さを備えた、比較的小さな個体の原皮を厳選して使用しています。現在、使用している原皮は、約2、3年をかけて育てられたクロコダイルで、1枚の原皮は、ハンドバッグなどに使用されるものに比べて半分、あるいは、3分の1ほどの大きさになります。タンナーとの綿密な打ち合わせのもと、デザインに合わせて最適な加工を施し、腕に心地よくなじむしなやかさと適度な強度を備えた素材を作り上げています」

レザーストラップの完成形を左右する「抜き」の工程に見る、高度な職人技

素材が出来上がると、レザーストラップの加工を施していきます。レザーストラップは、基本的に、表材、芯材、裏材を重ねた三層構造になっています。正確で、見やすく、美しいことに加えて、永く使える腕時計を追求するグランドセイコーのレザーストラップは、使うごとに、より腕なじみに優れたつけ心地を叶えるべく、表材にクロコダイル、芯材と裏材には基本的に牛革を使用した、天然皮革の三層構造であることが特徴的です。

レザーストラップの製造には、抜き、漉き、仕立て、縫い、刻印の5つの工程があります。抜きの工程では、1枚、1枚のクロコダイルから、専用の抜き型を使い、手作業で表材の形状をくり抜いていきます。腕時計を腕につけた際、12時側と6時側の2つのパーツの斑が美しく合うように、抜きの工程を担う匠が、個体ごとの微妙な違いを確認しながら、美錠側の定革、遊革と共に、一つひとつ丁寧に抜いていきます。なお、芯材と裏材も、この段階で抜きを行います。

クロコダイルには、うろこの縁付近に、針で刺したような「穿孔(せんこう)」と呼ばれる小さなくぼみがあります。これは、クロコダイルの感覚器官とされるもので、その他のワニ革にはない、クロコダイルの証です。グランドセイコーで採用しているのは、クロコダイルの腹部のうろこ模様を生かした最高級グレードの天然皮革であるゆえ、自然に発生した細かな傷や傷みがあります。抜きの工程では、こうした欠陥を瞬時に判断して避けながら、斑をきれいに合わせて抜くという高度な職人技が求められます。抜いた革のパーツは、専任の職人が検品を行い、再度、欠陥の有無を厳重に確認したのち、漉きの工程へと移ります。

その美しい仕上がりは、細部までこだわり抜かれた「革漉き」から生まれる

個体差のある天然皮革は、厚さにもばらつきがあるため、製品として作り上げるためには、一つひとつのパーツの厚さを管理することが、非常に重要です。漉きの工程では、革の厚さを均一に整えながら、レザーストラップを仕立てていく際に、パーツが重なる部分の厚さを抑え、縫い代部分を折り返しやすくするために、0.1mm単位で革を薄く漉いていく「革漉き」という加工を施します。

最初に、レザーストラップを構成する美錠側、剣先側、定革、遊革の各パーツを均一の厚さに、薄くきめ細かく漉き込んでいきます。次に、革の外端の部分にあたるコバ部も同様に漉き込んでいきます。この際、中央部分の厚さに対して、コバ部をより薄く漉くことが、重要なポイントになります。

「グランドセイコーでは、表材のコバ部で芯材を覆う『へり返し』と呼ばれる高級仕立てを採用しています。強度に優れたクロコダイルのコバ部を芯材側に折り返す際、厚さがあると返しづらくなるため、薄く漉き込む必要があります。また、折り返す分の厚さを考慮して、コバ部をより薄く漉き込むことによって、レザーストラップとして仕上がった時に、均一な厚さを保つことができます。レザーストラップ全体の立体感を表現する上でも、コバ部の漉き込みは、極めて重要な工程です」

漉きの工程では、クロコダイルならではの難しさがあります。牛革のように、ある程度、繊維の安定した革は、比較的漉きやすい一方、クロコダイルの場合は、斑の凹凸を配慮しながら漉き込む技術が求められます。丸斑は、漉くと伸び、長さが変わってしまうことがあり、竹斑は、谷がより深いため、漉きすぎると、谷の部分で革が切れるということが起きてくるため、匠たちは細心の注意を払いながら、微妙な調整を行っています。裏材、芯材の漉きを終えると、「仕立て」の工程に入ります。

匠の技が凝縮された、美しい日本の高級腕時計にふさわしい極上の仕立て

グランドセイコーが採用しているレザーストラップの仕立ては、表材で芯材を包み込み、これと裏材をレザーストラップ用に調合した糊で接着、あるいは、縫製によって仕立てていく仕様です。最たる特徴は、表材を贅沢に使用したつくりであること。それだけに外観も美しく、かつ丈夫であることから、高級腕時計に適した仕立てとされています。ストラップの側面部を表材で覆うため、皮革の持つ柔らかなカーブが全体のシルエットを柔らかくし、エレガントな雰囲気を演出します。漉きの工程と同様、独特の凹凸感のあるクロコダイルにへり返し仕立てを施すためには、非常に高度な技術が求められます。

「しなやかでありながら優れた強度を持つクロコダイルと、柔らかく湾曲した牛革の芯材という、異なる特徴を持つ皮革をへり返しで仕立てるためには、クロコダイルに、ある程度の熱を加えて温度を上げ、柔らかくした方が返しやすくなります。クロコダイルに個体差があるように、表材や芯材の状態もそれぞれ異なるため、一つひとつの状態を細かく確認しながら、専用のアイロンで熱を加える加減を緻密に調整し、仕立て上げています」

へり返し仕立てのレザーストラップにおいて、もうひとつ特筆すべきは、「菊寄せ」と呼ばれる技術です。丸みのある先端部分に、放射状に、幾重にも均一なひだを寄せていくという、極めて難易度の高い技術です。へり返しの工程を長年担う熟練の職人のみが成し得る匠の技は、剣先などのディテールに見ることができます。

丹念な手作業と厳格な品質管理が生み出す、至高のディテール

へり返し仕立てを施した表材、芯材を裏材と接着させたあとは、縫いの工程に移ります。縫いには、ミシン縫いと手縫いの2種類があり、ミシン縫いは、ステッチを専門に担う職人によってカスタマイズされたレザーストラップ専用のミシンを使い、剣先側、美錠側のパーツの縁を、一目、一目、丁寧に縫い上げていきます。手縫いの場合は、剣先側、美錠側、それぞれのパーツのステッチが入る箇所に、「菱目打ち」と呼ばれる専用の打具で穴を開け、蝋で仕上げた専用のステッチ糸で、一目ずつ、手で丹念に縫い上げていきます。グランドセイコーでは、腕時計のデザインやイメージによって、これらの手法を使い分けています。

「ミシン縫いのステッチは、十分な強度を備えた美しい縫い目と上質な仕上がりが特徴的です。手縫いは、大変手間のかかる手法ですが、ミシン縫いに比べて、太い番手の糸を使用することが可能で、縫いの強さを手でコントロールできることから、必要に応じて、ステッチの強度をより上げることが可能です。糸の番手や一つひとつの縫い目の幅を含めて、ステッチのディテールはすべて、腕時計のデザインに応じて決められていきます。その中で、適宜、最適な手法を採用しています」

レザーストラップの製造の最終工程は、刻印です。「Grand Seiko」専用の型を使い、ストラップの裏材に、熱と押圧を加えながら、一つひとつ、手作業で素押しを施していきます。前述した通り、レザーストラップは、基本的に、表材、芯材、裏材を重ねた三層構造ですが、デザインによって、さらなる厚さが求められる場合は、天然皮革の盛り芯を追加し、四層構造、五層構造となる場合もあります。刻印を担う匠は、そうしたストラップの厚さや革の状態などを細かく確認し、熱の温度や圧力を微妙に調節しながら、それぞれに適した刻印を完成させています。

グランドセイコーでは、色落ちや耐久性、耐光性など、レザーストラップの優れた品質を確保するための厳格な検査規格を独自に設けており、この規格基準を満たしたものだけが、製品として世に送り出されていきます。また、レザーストラップは、ハンドバッグなどの一般的な皮革製品とは違い、完成形となった時に、腕時計の部品の一部とみなされるため、電気・電子機器などの特定有害物資の使用制限に関するEUの「RoHS指令」に基づき、対象物質を迅速にスクリーニング測定できる分析装置を用いて、天然皮革においてあり得るかぎりの有害物質を排除するための努力を続けています。

グランドセイコーの美学を際立たせながら、奥深き美しさを放つレザーストラップ

写真:SBGY008

2021年、新たに誕生したモデル「SBGY008」のレザーストラップは、グランドセイコーのレザーストラップ製造技術の粋を集めたものです。このモデルは、なめし加工を経て、あずき色に染め上げた原皮の表面に、さらなる加色加工を施しています。表面全体を一旦黒く染め、染料を拭き取ることによって、竹斑の谷の部分だけに黒色が残り、あずき色との繊細なコントラストが美しいツートーンカラーを実現しています。拭き取りの工程は、タンナーの手作業によって行われます。拭き取りの具合によって、谷に残る黒色の濃さが微妙に変わってくるため、拭き取る力を微調整しながら、均一に仕上げています。

縫い方は手縫いを採用しており、手縫いならではの縫い目の立体感を際立たせながら、グランドセイコーらしい品格と美しさを兼ね備えた仕上がりとなっています。

手縫いは、手作業で一目ずつ縫い上げていくため、ミシン縫いに比べて、数倍以上の時間と労力を要します。レザーストラップという、極めて小さなサイズの天然皮革に対し、所定の穴に縫い針を通し、ステッチ糸を貫通させながら、均一で美しい縫い目に仕上げていくことは、想像以上に、指の力を要するものであり、熟達した匠の技があってこそ叶えられるものです。美しい日本の高級腕時計を引き立てながら、移ろう時の流れと溶け合うように、使うごとに腕に馴染んでゆき、味わい深い趣を醸し出すレザーストラップ。それは、時を超えてひたむきに技を究めてきた、職人たちの技術の結晶なのです。