松本 光(Grand Seikoダイヤルエンジニア)

The spirit of TAKUMI

グランドセイコーに宿る珠玉の匠の技
その美しいダイヤルは、
丹念な手作業から生まれる

「正確で、見やすく、美しく、永く使える日本の腕時計」を果てしなく追求するグランドセイコーが尊ぶ日本の美意識が、最も表現されているパーツのひとつは、腕時計の顔であるダイヤルです。移ろいゆく季節の中で、さまざまに表情を変えていく自然をインスピレーション源とし、その雄大かつ繊細な美しさをダイヤルに映し出すべく、情感あふれるバリエーション豊かな独自のデザインを生み出しています。

一つひとつのデザインには、それぞれのコンセプトがあり、ダイヤルの色合いや質感、ディテールもさまざまで、それに応じて素材や加工法も異なります。グランドセイコーのダイヤル製造を担う熟練の技術者たちは、金型の製造から、塗装、仕上げ磨き、GSマークの取り付け、検査に至るまで、その工程の一つずつを丹念な手作業で行っています。グランドセイコーらしい品格と実用性を備えながら、グランドセイコーの美学を余すことなく体現した上質なダイヤルは、どのようにして生み出されるのか。新たに誕生したモデル「SLGH005」の白樺ダイヤルを中心に、その製造の舞台裏に迫りました。

最高レベルの技術の粋を極め尽くした、グランドセイコーのダイヤル

「腕時計の世界最高峰」を目指し、高精度と実用性をひたむきに追求し続け、その理想を十分に満たす腕時計を生み出してきたグランドセイコー。そのダイヤルには、高い耐久性を確保しながら、ブランドの品格と美学をまとう外観の美しさを叶えるべく、製造工程のすべてにおいて、最高レベルの匠の技が惜しみなく注がれています。

グランドセイコーの独創的なダイヤルデザインを具現化するためには、高度な職人技はもちろんのこと、最終の仕上がりをイメージしながら、細かな調整を行う感性が求められます。匠たちの指先に伝わる熱や振動などのわずかな変化を繊細に感じ取りながら、ダイヤルを構成するディテールをひとつずつ作り上げていく中、例えば、多面カットを施したインデックスをダイヤルにあしらっていく時、インデックス用のピンセットが少しでもダイヤルに触れるだけでも、ダイヤルを傷つける原因となるため、緻密な力加減の調整も欠かせません。

ダイヤル製造に用いる治具や工具においても、入念なケアが行われています。ダイヤルのデザインに合わせて、加工法を一から考案し、専用の治具や工具を新たに作ることもしばしばですが、使うごとに摩耗していくため、同じ高品質のものを作り続けるためには、その都度、微調整を加えていく必要があります。グランドセイコーのダイヤル製造を担う技術者のひとりである松本光氏はこう話します。

「私たちの使命は、技術の粋を尽くし、いかに最高レベルの品質を保ちながら、同じ仕上げ加工を施していくかということです。ダイヤルの外観はもちろんのこと、グランドセイコーが重きを置く耐久性を実現するために、どの工程においても、一切妥協することなく、細心の注意を払いながら製造にあたっています」

写真:松本 光

匠の創案から生まれた「白樺ダイヤル」白樺の力強さと静寂さを極限まで表現するという新たな挑戦

2021年、新たに誕生したモデル「SLGH005」のダイヤルは、グランドセイコーのダイヤル製造技術の粋を結集したデザインのひとつです。このモデルに搭載されたグランドセイコー史上最高といえるメカニカルハイビートムーブメント「キャリバー9SA5」をはじめ、9Sメカニカルムーブメントを生み出す機械式腕時計の聖地、「グランドセイコースタジオ 雫石」の近くにある日本有数の白樺の美林を想起させる、ダイナミックな型打ち模様と繊細なカラーリングが特徴的です。

白樺ダイヤルの愛称で親しまれるダイヤルが生まれるきっかけとなったのは、グランドセイコーのダイヤル製造を担う技術者たちが創案したひとつの試作でした。2005年10月に発売されたSBGA011に初採用され、日本の自然美を腕時計に昇華させたグランドセイコーダイヤルの代表といえる雪白ダイヤルに続く、独創的なダイヤルを生み出せないかと考え、創意工夫を凝らした結果、木肌を想起させる独特の質感を持つ試作が出来上がりました。

「10振動ムーブメントにして80時間の連続駆動を実現した機械式ムーブメントの鼓動に呼応するような、白樺の力強さと静寂さをダイヤル上で極限まで表現したい」―デザイナーが思い描くイメージを具現化するべく、製品化に向けた開発が本格的にスタートしました。

「ダイヤルに白樺の模様を施すための金型製造には、約半年の年月を費やしました。デザインを重視すると、より凹凸感のある方が好ましかったのですが、完成体とするには、製造上、凹凸の高さに制限があります。とはいえ、凹凸を浅くすると、メリハリがなくなってしまうため、絶妙なバランスにたどり着くまでは、試行錯誤の連続でした。デザイナーと連携を取りながら改良を重ね、何度も作り直した末、ようやく製品化に向けた金型構造を編み出すことができました」

熟練の手作業と最新鋭技術の融合が生み出す、繊細な型打ち模様

金型が出来上がると、ダイヤル生地の加工に入ります。最初の工程は、ダイヤルのベースとなる真鍮を円形にくり抜いたあと、熱を加えて柔らかい状態にし、模様を転写する「型打ち」です。白樺ダイヤルをはじめとするグランドセイコーの繊細な型打ち模様は、熟練の職人による細かな手作業と、最新鋭の機器を駆使した技術の融合によって生み出されています。

通常、1回の型打ちで模様を転写できるモデルもありますが、ダイヤルのベースとなる生地は、厚さ0.5mmと極めて薄い金属素材であるゆえ、白樺ダイヤルのような凹凸の深い模様を一度に型打ちしようとすると、ベースに相当な負荷がかかり、破損してしまうことがあります。「数あるグランドセイコーの型打ち模様の中でも、これまでにない深い凹凸感を備えた模様」と技術者たちが口をそろえる白樺ダイヤルでは、試作を繰り返した結果、ベースの生地を加熱して、型打ちするという一連の工程を7回行うことで、模様を美しく転写できることを見出しました。約1日をかけて、1回目の型打ち作業を行い、翌日に2回目の型打ちの準備にとりかかるという流れで進めていくため、技術者たちは、通常の7倍以上の時間と労力を費やしながら、丹精込めて作業にあたっています。

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型打ちを終えたベース生地は、ダイヤルの外径サイズにくり抜き、インデックスをダイヤルにあしらうための穴開けやダイヤルを固定するための干支足(えとあし)の溶着などを行います。反りの有無、寸法確認を含める厳重な品質検査を経て、製造工程のバトンは、ダイヤルの表面仕上げを担う匠たちへと繋がれていきます。

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表面仕上げ加工の要は、丹念な手作業と徹底した品質管理

ダイヤルの表面仕上げ加工には、目付け、めっき、アンダー塗装、塗膜ラップ工程の4つの工程がありますが、加工に入る前に、まずはベース生地やインデックスの固定穴などのディテールの寸法や品質を再確認することから始めます。

「確認する時は、専任の職人が目視で行っています。どの工程においても、ダイヤル1枚1枚を丁寧に取り扱い、念には念を入れて確認作業を行うことは、我々が大切にしている原理原則です。それが後に続く工程への保証でもあり、ひいては、グランドセイコーの製品としての精度保証にも繋がっていきます。打痕と呼ばれるへこみ傷を含む金属素材特有の欠陥については、とりわけ厳重な確認を行っています。目視で確認したあと、場合によっては、ルーペを使って確認することもあります」

次に、金属製の刷毛で縦方向に筋目を付ける「目付け」を行ったあと、銀めっき加工を施します。その後、透明な塗料でめっきを保護し、塗膜ラップ加工の下地となる「アンダー塗装」を行います。これらの工程においても、数十回の試作を経て生み出された白樺ダイヤルならではの創意工夫が凝らされています。

通常、型打ち模様を施したモデルでは、目付けを行う前に、前処理と呼ばれるベース生地の表面を一皮剥くようなイメージの前処理加工を行います。しかし、白樺ダイヤルにこの加工を施すと、型打ち模様が削れてしまうため、模様に影響がない前処理を行って目付けを施しています。従来、目付けの工程では、水と研磨剤の複合液を使いながら、刷毛でブラシをかけ、筋目模様を付けていきますが、このダイヤルでは水のみを使い、刷毛も、独自に加工した通常の半分ほどのサイズのものを使用しています。

「ブラシをかけすぎると光りすぎてしまうため、微妙な調整が必要です。その逆に、続くめっき工程では、型打ち模様が鮮明に見えるよう、適度な光沢感を出す必要があるので、常に全体のバランスを見ながら調整しなくてはいけない難しさがあります」

通常、アンダー塗装の工程では、ダイヤルの完成色を施しますが、白樺ダイヤルは、めっきの銀色を活かしたデザインであるゆえ、透明の塗料を薄く塗っていきます。銀めっきの仕上がりによって、塗装の色も変わってくるため、これらふたつの工程の連携は極めて重要です。アンダー塗装を終えたあとは、塗料のたまりの有無など、厳重な全数検査を行ったのち、仕上げ加工の最終工程となる塗膜ラップ工程へと移ります。

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こだわり抜かれた製造工程

塗膜ラップ工程は、「トップ塗装」から始まります。この工程では、透明な塗料を塗り、乾燥させては、凹凸のある型打ち模様が埋まるまで、塗り重ねを繰り返していきます。その後、分厚い透明の塗膜を平らに研磨する「粗磨き」を施したのち、再度、トップ塗装と粗磨きを行い、型打ち模様を完全に埋めたあと、塗膜に艶を与えるための「仕上げ磨き」を施します。

白樺ダイヤルの型打ち模様は、通常の型打ち模様よりも凹凸が深いため、従来の塗料の量では、磨きの工程で、凸の表面がすぐに削れてしまいます。また、その凹凸の深さから、1回のトップ塗装では、型打ち模様を完全に埋めきることができないため、通常の2倍の塗料を使い、塗り重ねては粗磨きを施すという一連の工程を、あえて2回繰り返す手法を採用しています。塗料を塗り重ねる回数は、実に、通常6〜7回の倍以上にあたる14〜15回。施す塗料の量と回数が増えた分だけ、インデックスの固定穴にも詰まりが出やすくなるため、穴開けの工程もあえて2回行っています。

「型打ち模様の凹の部分は、めっきのベース色の銀色で仕上げているので、これだけ塗料を分厚く塗り重ねても、有機的な模様の鮮明さは保たれています。白樺ダイヤルは、通常の型打ちモデルよりも塗膜が厚い分、より深みのある仕上がりとなっています」

ダイヤルの表面仕上げが完成すると、厳重な中間検査が行われます。検査を通過したダイヤルは、「Grand Seiko」などの文字印刷、GSマークをはじめとするディテールの取り付け工程に入ります。

グランドセイコーのダイヤルの印刷文字は、重厚感とシャープな趣をあわせ持つ仕上がりが特徴的です。本来、これらふたつのニュアンスを同時に表現しようとすると、文字が太くなり、つぶれてしまうことがありますが、印刷工程を担う技術者たちは、美しいロゴを具現化するべく、長年培ってきた印刷技術を駆使して、独自の手法を見出しました。仕上げ磨きを施した平滑なダイヤルの表面に、緻密なバランスを調整しながら、数回重ねて文字を印刷したあと、高温で長時間乾燥させるという丹念な仕上げ加工を施しています。
GSマークとカレンダーの窓枠は、「かしめ加工」という手法を用いて、ダイヤル上の指定の位置に、ひとつずつピンセットであしらっていき、接着を併用して固定します。その後、ダイヤルリングを取り付けた状態で分目盛りの印刷を行ったのち、すべての工程を締めくくるインデックスのかしめ加工へと移ります。

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「シリーズ9デザイン」の哲学をダイヤルに昇華させた匠の技

SLGH005のインデックスには、視認性をより向上させるための配慮がなされています。その最たるものが、多面カットを施した立体的なインデックスすべての中央部に施された深い溝カット面です。この溝が入ることでわずかな光をも捉え、目盛りの位置をより正確に判読できるようにデザインされています。

12時位置のインデックスにおいては、他のインデックスの約2.5倍の幅と特徴的な形状にすることで、これからの時代にふさわしい印象深い存在感を放つデザインに仕上がっています。

「インデックスの形状は、かしめの足部分も含めて、すべて切削加工で作り上げています。今回は、インデックスの中央部に溝カット面が加わったことによって、加工の難易度はさらに高まりました。GSのロゴマークと同様、インデックスも、ダイヤル上の指定の位置にピンセットであしらい、かしめと接着を併用して固定していくのですが、とりわけ12時位置のインデックスにおいては、幅が増した分、この工程を長年担う熟練の職人でさえ、感覚をつかむまでには相当な時間を要しました」

最後に、全数検査、仕上げ検査、出荷検査といくつもの細かな検査を経て、ようやくダイヤルは完成となります。

ダイヤル工程

板材[1/20]

型押し(1回目)[2/20]

型押し(2回目)[3/20]

型押し(3回目)[4/20]

型押し(4回目)[5/20]

型押し(5回目)[6/20]

型押し(6回目)[7/20]

型押し(7回目)[8/20]

型抜き[9/20]

穴板[10/20]

窓さらい[11/20]

穴さらい[12/20]

めっき+塗装[13/20]

トップ塗装(1回目)[14/20]

粗磨き[15/20]

トップ塗装(2回目)[16/20]

仕上げ磨き[17/20]

印刷[18/20]

パーツ取り付け[19/20]

完成品[20/20]

時を超えて醸成されてきた日本の美意識を体現するべく持ちうる技巧のすべてを注ぎ込む

時を超えて醸成されてきた日本の美意識を体現するべく、多種多様なデザインを展開しているグランドセイコー。ダイヤル製造の過程では、その意匠に応じて、熟達した匠の技を駆使したさまざまな技巧が凝らされています。

例えば、「二十四節気」をテーマに、日本の四季がみせる豊かな表情を表現したモデルのひとつである「SBGJ251」のグリーンダイヤルや、磨き込んだ床に紅葉が映りこむ「床もみじ」を繊細に表現したモデル「SBGH269」などのカラーダイヤルでは、いかにムラなく、均一に塗料を施していくかということが、要となります。塗料は、種類によって性質も違えば、塗り方も異なり、ダイヤルのベースとなる生地の素材や模様などによっても、塗料との相性はさまざまであるため、一つずつ確認しながら、最善の方法を探り当ていきます。

また、古来、日本で親しみの深い麻の布をモチーフに、しっとりと輝くシャンパンカラーに仕上げたレディスモデル「STGK007」のダイヤルでは、麻特有の繊細な質感を体現するべく、ダイヤル全体に浅めの筋目加工が施されています。かすかなニュアンスが求められるため、目付けを施す際は、筋目が際立ちすぎないよう、力加減に万全の注意が払われています。

このほか、柔らかく加工の難しい18Kゴールドを採用したモデルや、緩やかなカーブを描くボンベダイヤルを採用したモデルなど、グランドセイコーのあらゆるダイヤルの随所に、技術者たちが持ちうる最高技術のすべてが注ぎ込まれています。彼らが重きを置くのは、グランドセイコーが誇る高い品質を守り抜くこと。今この時も、日本ならではの美意識を体現する美しいダイヤルを作り続けています。

写真:インデックス