技術に優しさを重ねた職人魂で、和食の文化を後世に残す
—— 長谷川在佑(料理人)
ジャンルレスなレストランコンペティションである「アジアのベストレストラン50」では1位を、「世界のベストレストラン50」では日本勢最高順位の20位を獲得。「ミシュランガイド東京」では2つ星。まさに、日本を代表する和食店が「傳(でん)」だ。和の文化と職人に憧れて育った、店主の長谷川在佑さんが考えるクラフトマンシップとは。
Photos: 小林久井 Hisai Kobayashi Words: 浅妻千映子 Chieko Asazuma
職人への憧れを抱いた子ども時代
世界的なレストランコンペティションで上位に食い込み、「ミシュランガイド」でも2つ星を獲得している和食店「傳」。店主の長谷川在佑さんが生まれ育ったのは、東京・神楽坂。人情あふれる街で育まれた心が、料理人として活躍する現在に至るまでのベースになっているという。
「小さい頃から、街全体に見守られながら育った気がします。何か悪いことをしても、必ず誰かに見つかっちゃう。それが回り回って次の日には必ず母親の耳に入るという感じです。みんなに叱ってもらい、褒めてもらい、気にかけてもらいながら大きくなりました。今も、あの街で下を向いて歩いていると、いろいろな人に怒られそうな気がしますね。母は芸者で、小さい頃から周りに粋な人たちを見る機会も多かった。宮大工のような職人たちも身近なところにいて、かっこいいと思っていましたね。一つのものに打ち込む“職人”や“和の文化”というものに、明確な憧れをもっていた子ども時代でした」
そんな長谷川さんが、18歳で修業を始めたのは神楽坂の割烹料理の店だ。
「ここでも、歌舞伎役者をはじめ、粋なお客様をたくさん目にしました。職人への憧れは変わらずあり、当時の自分は、技術を磨くことこそが一番大事だと思っていたんです。だから、誰よりも綺麗に早く魚をおろすとか、誰よりも早く野菜を切るとか、そうしたことに没頭して過ごした日々でした。技術を覚えることで何かが磨かれていく感覚は楽しかったし、達成感もあった。職人ってこういうものなのかなあと。充実していましたよ。でもその後、自分が独立して店をもったら、それは職人ではなく、ただの自己満足だったことに気づいたんです」
本当の職人は技術で終わらない
独立してから初めて店を構えたのは神保町だった。店にはカウンターも設え、お客様が食べ進んでいく様子を目の前で見ながら、料理を作る経験をすることになる。そんな中で、自身のクラフトマンシップが確立されていく。
「職人は、自分の好きなことだけをひたすら突き詰めていくと思っていましたが、実際に店をもってみると、それだけではうまくいかず、違和感がある。簡単に言えば、自分の出したい料理と、お客様の食べたいものにギャップが生じているのを感じる時があるわけです。こちらのやりたいことを、値段も含めてお客様に押し付けるのは何か違うんじゃないか。悩みながらやっていくうちに、相手の気持ちを察しながら、自分のフィルターを通して料理を出せた時、お互いが初めて気持ちよくなることがわかったんです。僕が提供したいのは、そういう時間だということにも気づきました。そして、本当の職人とは、優しさや思いやりを持ち合わせているものなのではないかと。カウンター席での経験から、自分の中でのクラフトマンシップが確立した瞬間です」
カウンターで学んだことは他にもあるという。世界に目を向けるきっかけをお客様からもらったのだ。
「お客様との会話の中で、『フランスのあの店に行ったことあるか』『ペルーのあそこは知っているか』なんて話をされるたびに、どこにも行ったことがない自分に気づいたことは大きいです。悔しいから行ってみると、そこで友達もでき、日本料理の狭さにも気づかされました。彼らが日本に来て、店に来てくれた時に楽しい時間を提供できれば、徐々に名は知られていきます。ミシュランの星を取りたいとか、世界を舞台にするにはどうしたらいいかと、若い人にしょっちゅう聞かれますが、自分が気になる海外の店には時間とお金をかけてぜひ行ってほしい。そしてシェフたちと話をして、友達になってほしい。この時間をつくれなければ、世界で活躍することは無理です」
その後、店は神宮前に移転する。オープンキッチンの前に大きなテーブルがあり、料理人もお客様もそれぞれの様子を見ることができるが、あえてカウンター席は設けなかった。世界的な和食店にもかかわらず、同様の位置に属する店に比べると、値段はかなり控えめである。
「カウンター席で学ぶことは多かったのですが、ただでさえ緊張しているお客様にさらに圧迫感を与えることに気づいてやめました。でも、お客様の様子は見たい。それを両立したのが、今の店のつくりです。私を含めて傳のスタッフは皆、常にお客様一人ひとりと向き合い、喜んでもらいたいと考えています」
そして、高級な和食店があふれる中で、傳はそれらの店への入り口であっていいと長谷川さんは言う。
「残していくべき文化である和食も、知ってもらわないことには廃れてしまう。でも、いきなり5万円もする本格和食店に行くなんて、誰にとってもハードルが高すぎるでしょう。緊張もするし、マナーもわからない。楽しむなんていう次元にはなかなか到達できないはずです。うちの店は、将来的にそうした店へ行くための入り口として、あえてハードルを低く、わかりやすい料理と、ちょっと頑張れば手に届く価格設定にしています。若い世代をはじめ、多くの人にまずは和食を体験してもらいたい。うちの店で楽しい時間を過ごし、和食っていいねと思ってもらって、次のステップに進んでもらえればいいのです。結果的に、楽しい時間を提供できていることが、世界で評価していただける理由なのではないかとも思っています」
何より大切なのは優しさと思いやり
自身や店の成長ももちろんだが、今後は後進の育成にもさらに力を入れたいという長谷川さん。
「店で働いている若い子たちには、みんな自分の子どものような気持ちで接しています。彼らの将来に責任があるから、いい加減なことはできない。一方で、若い子たちが失敗した時、すぐに答えを与えないようにしています。自分を振り返ると、答えが出るまでのプロセスが一番楽しいわけで、そこを奪ってはいけないと思うから。できない時を楽しんだほうが絶対にいいですよ。技術は急がなくてもいくらでも獲得できます。それより何より、優しさと思いやりを育ててほしい。それがあれば、自分で店をもった時にきっとうまくいきます」
自身を振り返った時に思い出すことの一つに、グランドセイコーとの出合いがある。
「実は、僕が神楽坂の修業先で煮方(店の味付けを担う。板場に次ぐ重要なポジション)になった時に、自分へのご褒美に買ったのがグランドセイコーなんです。素敵な常連さんが着けていた、憧れの腕時計でした。実際に使ってみると、時刻が見やすくて着け心地も良い。緻密な技術の上に、そうした優しさがあるところに、僕の考えるクラフトマンシップに通じるものを感じます。こうして新しいグランドセイコーを手にし、あの日のことを思い出すと、初心にかえったような新鮮な気持ちになってまた頑張れそうです」