新たな手法で理想の味を探求する、革新的な日本酒づくり
—— リシャール・ジョフロワ(IWA創立者・醸造家)
世界で最も有名なシャンパーニュ・メゾンとして知られているドン ペリニヨンで、2018年まで28年間という長きにわたり醸造最高責任者を務めたリシャール・ジョフロワさん。退任後に始めた次なるチャレンジは、日本酒づくりだった。ワインと日本酒は同じ醸造酒でありながら、つくり方や職人のマインドなど、似て非なる部分は多い。新たな世界に飛び込んだ理由や、日本のものづくりに対する想いを聞いた。
Photos: 蛭子 真 Shin Ebisu Words: 小久保敦郎 Atsuo Kokubo
醸造家として感じた、日本酒のポテンシャル
シャンパーニュの醸造家として輝かしい経歴をもつリシャール・ジョフロワさん。慣れ親しんだワインの世界から日本酒づくりへ転身して、3年が経つ。いったい、日本酒のどこに興味を惹かれたのだろう。
「入り口は日本文化でした。日本と出合い、文化に触れ、その奥深さを知り夢中になりました。そのような中で日本酒に出合ったのは、ごく自然なこと。日本のアイデンティティーのひとつでもありますから。国内での消費量は減っていると聞きましたが、私は日本酒に可能性を感じました。この酒は、まだポテンシャルがある。そして国外も含め、もっと多くの人に飲まれるべきだと思ったのです」
酒づくりの拠点となるのは、富山県立山町白岩に建設した酒蔵。かねてより親交のあった建築家の隈研吾さんが設計した。完成した酒蔵を見た時、ジョフロワさんは感銘を受けたという。
「遠くから見ると、田んぼに囲まれた大きな屋根だけが見えます。その屋根はどこか寺院を思わせるフォルムで、室内からの眺めや差し込む光を見事にコントロールしている。焼杉(やきすぎ)の外壁、籾殻を漉き込んだ和紙の壁紙など、細かな点に至るまで創造性にあふれていました。建物の実物が建設前のイメージを超えたのは、自分の経験ではほとんどないことです。まさにクラフトマンシップのたまものだと思います」
職人のたゆまぬ努力で進化を続けて
日本酒はワインと同じ醸造酒。米とぶどうという原料の違いはあるものの、おおまかな醸造工程は似ているといわれる。だが、シャンパーニュのスペシャリストの目には、日本酒づくりはまるで別物に映ったという。
「まず、糖化やアルコール発酵の過程など、つくり方が非常に複雑であることに驚きました。それから、ワインの醸造は科学的に解明されている部分が多い。でも、日本酒は経験や勘に頼る部分がいくつも残されています。それは、職人の力が重要であるということ。清酒が生まれてから1200年もの間、日本酒のつくり手は試行錯誤を続けてきました。イノベーションがあり、進化し、現在に受け継がれている。そしていまもいい酒をつくるための試みを繰り返しています。その粘り強い姿勢も含めて、日本酒の職人には敬意を感じます」
ジョフロワさんがつくるのは「IWA 5」と名付けた日本酒。バランスがとれた味わいを、徹底的に追求する。
「複雑な味わいなのに飲みやすい、その2つの調和がとれたこれまでにない日本酒を目指しています。味覚的にはいくつもの香りとさまざまな味をバランスよく調和させる。口当たりと余韻も大切で、口に含んだ時は軽やかに、そしてスムーズな余韻はおいしい記憶と直結します。完璧な味というものはありません。でも、そこに近づくことはできるのです」
そのような日本酒を実現するために、ジョフロワさんはシャンパーニュづくりで習得したアッサンブラージュの手法を取り入れた。これは複数の原酒を調合し、理想の味を組み立てていく職人技だ。
「IWA 5はアッサンブラージュによって生まれたユニークな日本酒です。今年リリースするものは、約20種類の原酒を使用しました。味わいが完璧なバランスに近づくと、料理との組み合わせの幅も広がっていく。和食はもちろん、世界各国の食文化にもよく合う味に仕上げています」
新しい刺激が、明日のステップへ
日本酒づくりにアッサンブラージュという新たな手法を持ち込んだことについて、ジョフロワさんは別の視点からの期待も込める。
「日本酒業界は、一般的に保守的だと思われています。でも、ただ伝統を大事にしている人ばかりではありません。外にアンテナを張り巡らせ、変化を恐れない職人がたくさんいることを知っている。これまでもいくつもの革新を経て、いまの日本酒にたどり着きました。まだまだ進化するはずです。だからアッサンブラージュがつくり手を刺激し、日本酒の新しいステップになれば面白いですね」
2021年春に完成したこの酒蔵で、これまでにない日本酒づくりを加速させるジョフロワさん。シャンパーニュで培ったクラフトマンシップがいま、日本酒の世界に新たな風を吹き込んでいる。