千利休の侘茶を礎に、一子相伝で受け継ぐ樂家430年の伝統
—— 樂吉左衞門(樂家16代)
千年もの長い間、日本の中心として栄えた京都は、そこで花開いたさまざまな文化や芸能を支えてきたものづくりの都でもある。その中でも、興りから技術、継承方法などのすべてにおいて唯一無二の存在が、430年の歴史を誇る樂茶碗。40歳の若き当主、16代樂吉左衞門さんに独自の世界観や創作にかける想いを聞いた。
Photos: 蛭子 真 Shin Ebisu Words: 小長谷奈都子 Natsuko Konagaya
ルーツは桃山時代に遡る、樂家のクラフトマンシップ
茶の湯の全盛期である桃山時代、千利休の侘茶にかなう茶碗を初代長次郎が生み出したのが樂家の興り。いまでこそ、その黒茶碗・赤茶碗は茶の湯の代名詞的な存在でもあるが、利休と長次郎によって生み出された当時は、これまでにない斬新な茶碗として人々を驚かせ、“今焼茶碗”と呼ばれたほどだった。
「利休さんが理想とする侘茶の茶碗を初代長次郎に託したことが原点で、長次郎がなにを真似るでもなく、つくり方も焼き方も全く新しい茶碗を創造した。2代も3代もその精神性のみを軸にしてオリジナルのものを生み出したことで、樂家の方向性が決まったと言えます」
樂家のクラフトマンシップは、模倣するのではなく、伝統を継承しながら、時代の空気の中で歴代がそれぞれの新たな茶碗を築き上げること。そのベースには、一子相伝で受け継がれる樂家の伝統は“教えないこと”という独自のしきたりがある。
“教えない教え”の中で、自分の茶碗を生み出す
「精神的なことは日々の生活の中で少しずつ学んでいきますが、技術や造り方はいっさい教わりません。枠があるとその中でしか物事を考えられなくなり、枠からはみ出るかはみ出ないかがひとつの基準になる。枠を設けないことで、自分でいろいろなものを見たり感じたりして吸収し、自分の世界をつくり上げていく。教えないことがひとつの教えとなり、自分自身の茶碗と向き合い続けています」
では、“教えない教え”の中で、どのようにクラフトマンシップを高めているのだろうか。
「ありがたいことに、初代から父親までの茶碗が残っている。モノにはつくり出した人の意思が反映されるので、モノを見れば自ずとつくり手がどういった目線や意識をもっていたのかというのがわかります。また、茶の湯やその根底に流れる精神性を考えながら、実際に道具を見たり、触れたり。演劇や展覧会にも足を運びますし、他の業種の方と交流することで、自分のあり方を確認したり、その方たちの美学や想いを知ったりと、刺激になっています。あとはひたすら考えながら、手を動かすしかありません」
長次郎から受け継がれる“今焼”の精神が樂家の伝統
両手を土に添えて徐々に内側に向けて立ち上げていく手捏ね技法や、小さな内窯で一碗ずつ焼き上げる焼成方法など、長次郎の時代から変わらない樂茶碗の制作方法。歴代のさまざまな挑戦や取り組みをふまえて、さらに新たなスタイルを打ち立てるのは容易ではないはずだ。
「技術的なことはほぼ初代で完成している。あとはなにを自分自身で選択するか。父は焼貫(やきぬき)という力強い技法を取り入れ、新たな茶碗を生み出しました。それは、樂焼の概念が固まり、格みたいなものが生まれ、枠が出来てしまった樂茶碗というものを、あえて壊したかったからだと思うのです。僕自身も自分なりの新しい茶碗でその枠を再構築するために、黒でも赤でもない新たな茶碗づくりに取り組んでいます。意思や目線があるからこそ、そこに向かっていくことができ、熱量が入る。新たになにを生み出すかという作品に対する自分の“想い”やそれに向ける“視線”の純度をさらに高めていければと思います」
仕事場に隣接する樂美術館にて開催中の「樂歴代 特別展 茶碗が紡ぐものがたり」(2022年8月21日まで)にも出展されている新たな灰色の茶碗は、まだ名前が決まっておらず、“今焼”と呼んでいる。樂さんは、未来へ残したい日本のクラフトマンシップは「想い」だと語る。430年の伝統を受け継ぎ背負って令和の時代に生きる彼もまた、長次郎の本質をつかみ取りながら、自分の世界を築き始めている。