クラシックを守り技術を進化させる、日本のバーテンディングの美
—— 坪倉健児(バーテンダー)
西洋で始まり、日本で独自の進化を遂げたバー文化。その繊細な技術は世界で広く知られるものだが、中でも高い評価を得ている一人が、バーテンダーの坪倉健児さんだ。国際的なバーテンダーのコンペティションで日本人として2人目の「ワールド・バーテンダー・オブ・ザ・イヤー」に輝いた、坪倉さんの考える日本らしさへの思いとは。
Photos: 蛭子 真 Shin Ebisu
Words: 児島麻理子 Mariko Kojima
世界に誇れる日本のホスピタリティ
坪倉健児さんのバー「Bar Rocking chair(バーロッキングチェア)」があるのは、京都・河原町から少し路地に入った住宅街。暖炉がある空間を求めた先に、偶然出合った京町家だが、坪倉さんにとって最良の場所となった。
「なによりもゲストにリラックスしてもらうこと。それが自分にとってのホスピタリティです。暖炉から火がはぜる音がして、店名でもあるロッキングチェアがその目の前にある。改装前の町家から残しているものもあり、大黒柱や屋久杉の欄間などは店のアクセントになっています。本当にいいものはこうして残っていくんだなと感じています」
2016年には63カ国・地域の約110人が参加する国際バーテンダー協会主催の世界大会「ワールド・カクテル・チャンピオンシップ」に出場し、繊細で正確な動きや場を読む対応力、そしてクラシックカクテルの基本を踏まえながら海外を意識した味覚の構成が評価され、見事総合優勝を掴み取った。これを機に、その名は世界に知られるようになったが、坪倉さんにとって大会は、店での日常の仕事と地続きのものだ。
「バーテンダーを始めたころは、大会に出ることに積極的なわけではなかったんです。でも負けると悔しいし、なにより出る前と後では明らかに自分の技術が上がっている。日々の仕事の中での動きも変わってくるんですよね」
坪倉さんの考える日本人バーテンダーの特徴は、クラシックなものを尊重する姿勢、無駄を削ぎ落とした動きの美しさ、それを追求するストイックさだ。バー文化が明治時代初期に入って以降、限られた情報の中で、決まったレシピの完成度をどう上げていくかを考え続けてきた歴史が、日本のバー文化をつくり上げてきた。その象徴が、素材や道具の扱い方を極めたバーテンダーの所作に表れているという。
「日本のバーテンダーは動作で魅せることができると思っています。海外だと動きの大きなパフォーマンスや速さを重視することが多いのですが、一つひとつの動きを洗練させていくと、カクテルを待つ時間さえお客様にとって価値ある時間に変わる。こうした追求は、日本人バーテンダーならではの特徴です」
提供したいのは、記憶に残る名場面
世界大会での優勝カクテルの名前は「The Best Scene(ザ・ベストシーン)」。ここには坪倉さんのバーテンダーとしての日々の思いが込められている。
「僕がバーテンダーとして大切にしていることは、お客様にとって記憶に残るような時間をつくり出すこと。そして心からリラックスしてもらうことです。このカクテルはお客様のそんなシーンを演出したいという思いからつくりました。口にしてもらった時に、はっとする顔をしてもらえたり、帰り際に美味しかったと言ってもらえたりすると、その方にとってのいいシーンになれたかなと思います。そしてそのシーンが僕にとってのベストシーンにもなっていくんです」
ゲストにとっての最高のシーンをつくり出すため、それぞれがどんな時間を過ごしたいか瞬時に察することも求められる。カクテルというものづくりの一方で、人と向き合う技術にも日本のバーらしいこまやかな気配りが活かされているのだ。
「ひとりで時間を過ごしたい方もいれば、話しかけてほしい方もいる。さらに、そういった思いがお酒を飲み進めるにつれて変化することもあるんです。それらを汲み取りながら、お客様の求めるものを提供する。それができるのがプロのバーテンダーだと思っています」
日本のバーは伝承による技の結晶
世界を知る坪倉さんが感じる、日本のバーの魅力。それは徒弟制によって技術が守られ、そして進化してきた過程にあるという。技を磨き、己を磨く。レシピブックを見るだけでは体得できない職人から職人へと受け継がれた要素がそこにはある。
「クラフトマンシップにも通じることですが、技術は常に進化していく必要がある。日本のバー文化は師匠からお弟子さん、またそのお弟子さんへと伝えられてきたものです。クラシックカクテルといわれるものが日本で独自の進化を遂げたのは、お店や人によって守り続けられ、それが時代に合わせて少しずつアップデートしてきた歴史があるから。お客様には、目の前に出された一杯が、人から人へ脈々と受け継がれたものだという背景も含めて、カクテルを楽しんでほしいですね」