クラフトマンシップは、技術より精神性に宿る
—— 増田醇一(増田德兵衛商店代表取締役社長)、増田德兵衞(同会長)
銘酒「月の桂」の醸造元である増田德兵衞商店は、国内屈指の酒どころ京都伏見で最も古い酒蔵のひとつ。江戸時代初期から続くこの老舗で、昨年、20代の社長が誕生した。国内初のにごり酒を開発し、いち早く熟成酒の貯蔵を始めた革新性のある酒蔵は、これからどこへ向かうのか。増田醇一社長と増田德兵衞会長に、それぞれの思いを聞いた。
Photos: 蛭子 真 Shin Ebisu
Words: 小久保敦郎 Atsuo Kokubo
若くして老舗の社長を引き継ぐ意味
京都と大阪を結ぶ古道沿いに酒蔵を構え、まもなく創業350年を迎える増田德兵衞商店。豊かで良質な伏見の水で醸す「月の桂」という酒の名は、縁ありし公家が詠んだ歌にちなんでつけられたという。
この歴史ある造り酒屋で、2022年6月、次世代へのバトンタッチが行われた。社長に就任したのは、増田醇一さん。前社長で会長になった14代増田德兵衞さんの長男だ。就任時は29歳。40代で社長になっても「若い」といわれるこの業界では、異例の早さといっていい。
「以前から、早いうちに社長の座を譲りたいと考えていました。できれば彼が20代のうちに。そのほうが、面白いことができるのでは、と思いまして」と德兵衞会長は言う。
それは東京で働いていた醇一さんが自宅に戻り、家業を手伝い始めて3年目のこと。「急やわ、めちゃくちゃやな、と思いました」と当時を振り返りながら笑う。それでも、いずれ家を継ぐのだろうという思いがどこかにあった醇一さんは、「社長業は長く経験するほど判断力が増していく。早いほうが得かも」と快諾したのだった。
江戸時代から連綿と続く、酒づくり。そんな伝統ある家業を受け継ぐことについて、醇一さんはどう考えているのだろうか。
「正直なところ、大変なことばかりですね。古いしきたりをどう守るのか、どこを新しくするのか、常に問われている。とても難しい。それでも、伏見という恵まれた場所で酒づくりを始めて、ここまで続けているのは、日本の文化として大切なこと。誇りに思っています」
温故知新を大切にする、増田家の酒づくり
酒づくりに適した米の栽培に始まり、職人の手仕事を経て、良質な酒を生み出していく。「酒づくりはクラフトマンシップそのもの」と醇一さんは言う。
「特にうちの酒づくりでは、純度を大切にしています。水のおいしさだったり、米の甘さだったり、純度の高いものに向かって、手間を惜しまない。しかしすべての隙間を埋めるのではなく、空間と想像の世界をつくる味わい、それはボタン一つで何でもできる時代だからこそ、差がつく部分だと思っている。手間を惜しまないという精神性が、月の桂の品質を支えています」
とはいえ、これまで守り伝えられてきたことを繰り返しているだけではない。いつも頭の片隅にあるのが、「温故知新」という言葉だ。
「先人が作り上げてきたものを、僕の代としてどう解釈し、形にしていくのか。古いものから学び、新しいアイデアに繋げていく姿勢を大事にしています」
温故知新は、増田家の酒づくりを紐解くキーワードでもある。日本酒の一ジャンルとして確立されている「にごり酒」を1964年に初めて製品化したのは、この酒蔵だった。きっかけは、13代増田德兵衞が発酵・醸造学の権威・坂口謹一郎に「どぶろくを現代に復活させよう」と声をかけられたこと。
どぶろくは1896年の酒税法で自家醸造が禁止されていた。「先代(13代)が目指したのは、どぶろくではないけれど、どぶろくのような味わいをもつ酒。研究を重ねた末、それがにごり酒という形になりました」と德兵衞さんが説明する。
「日本酒はいかに均一なものを大量につくるか、という方向に向かっていました。本来は個性とか季節感とか、味の違いが生まれるものなのに。そんな忘れられがちなことに改めて向き合う姿勢も、クラフトマンシップといえるかもしれません」
クラフトマンシップは精神性に宿る
社長として31年の間酒蔵を切り盛りし、老舗の伝統を守り続けてきた德兵衞さん。会長としてサポートする立場となったいま、醇一さんにこうエールを送る。
「伝統とは、革新の連続。常に新しいものにチャレンジしないと、いい意味での伝統は続かない。時代に流されることなく、自分なりのアイデアをもって立ち向かってほしいですね」
一方の醇一さんは「おいしい酒をつくるのは、メーカーとして当たり前。酒の周辺文化とも連携しながら、飲み方や価値も発信していきたい」と前に歩みを進める準備を着々と行っている。
酒づくりを家業とするふたりに共通していたのは、「クラフトマンシップは技術より精神性に宿る」という考え方だった。長く受け継がれてきた伝統を守り、次世代へ繋いでいく。その時に欠かせない何かが、この言葉の中にあるのかもしれない。