Caliber Stories
Produced by chronos for Grand Seiko

2021.06.30.WED

GS史上最高の新世代メカニカルムーブメント 
キャリバー9SA5搭載モデルSLGH005の真価 
Vol.3

耐久性/瞬間日送りなど実用性の高さ

SLGH005

グランドセイコーがさらなる高みに至るため、さまざまな新機構を盛り込んだキャリバー9SA5。その一方で、グランドセイコーならではの美点にもいっそうの磨きをかけた。それが耐久性と使い勝手の良さだ。普通、新しいメカニズムを採り入れたり、性能を大幅に上げたりすると、こういった要素は損なわれてしまう。しかし、グランドセイコーは、設計自体を見直すことで、今までの個性を失うことなく、性能の大幅な底上げに成功したのである。

  • 広田雅将(『クロノス日本版』編集長):取材・文
  • Text by Masayuki Hirota (Editor-in-Chief of Chronos Japan Edition)

「水平輪列構造」とコンパクトな自動巻機構がかなえた薄さと耐久性

1960年のファーストモデル以来、正確さと耐久性、使い勝手の良さを求められてきたグランドセイコー。そのため、グランドセイコーは長期間使われることを前提として設計を行ってきた。そして、その哲学に基づいて、現代のグランドセイコーのムーブメントも製造されている。いっそうの正確さと耐久性、使い勝手の良さを求めた設計である。

その究極が、2020年に発表された自動巻メカニカルムーブメントのキャリバー9SA5だった。このムーブメントは、グランドセイコーフリースプラングやデュアルインパルス脱進機といった、かつてない新機構を搭載している。だがその一方で、グランドセイコーの個性である耐久性と使い勝手の良さはいっそう強調された。

時計のエンジンに当たるムーブメント。その土台と屋根に当たるのが「地板」と「受」という部品だ。どんなムーブメントであれ、このふたつの部品で、歯車や動力ぜんまいを収納した香箱を挟むという設計を持つ。地板と受を厚くすれば、ムーブメントの骨格は丈夫になるが、腕時計自体も厚くなってしまう。また、仮に地板と受を薄くしても、中に詰め込む部品が増えると、ムーブメントは厚くなる。頑強さや高機能と腕時計の厚さは、そもそも相反する課題なのだ。

ほとんどの自動巻に同じく、グランドセイコーの自動巻も、回転錘の動きを動力ぜんまいに伝える自動巻機構を、受の上に重ねている。もっとも、グランドセイコーの自動巻は、薄くてコンパクトなため、グランドセイコーの技術者たちは、そこで浮いたスペースを、地板や受の厚みに回すことができた。グランドセイコーのムーブメントが頑強と言われる理由だ。

しかし、薄さを重視したキャリバー9SA5では発想の転換が求められた。そこで採用されたのが「水平輪列構造」である。同ハイビートムーブメントであるキャリバー9S85の直径は28.4mm。対してキャリバー9SA5の直径は31.6mmに広げられた。その大きな直径を生かして、キャリバー9SA5はムーブメントを構成するさまざまな要素を同じ階層に置いたのである。この中には、今まで「受」の上に重ねていた自動巻機構も含まれている。これにより、グランドセイコーならではの頑強さを損なうことなく、キャリバー9SA5は大幅な薄型化に成功した。

キャリバー9SA5

キャリバー9SA5は、普通の自動巻ムーブメントと違って、時計を動かす輪列と自動巻機構が、同じ階層に置かれている。この「水平輪列構造」によって、キャリバー9SA5は高性能と薄さの両立に成功した。

もっとも、さまざまな部品をひとつの階層に収めるには、それぞれの部品を小さくする必要がある。とりわけ、回転錘の回転運動を動力ぜんまいに伝える自動巻機構は今まで以上にコンパクトにまとめなければならない。しかし自動巻機構は小さくしすぎると摩耗しやすくなり、かといって大きくするとスペースが必要なうえ、重くなり、動力ぜんまいが巻き上がりにくくなる。グランドセイコーの技術陣はキャリバー9SA5にコンパクトで極めて丈夫な自動巻機構を与えることに成功した。設計自体は標準的なものだが、自動巻の部品に硬化処理を施すことで、耐久性は大きく向上したのである。

さらに、これまで以上の装着感を追求するべく、腕時計として完成した時の重心位置にもこだわっている。ムーブメントの底面からりゅうずの中心までの距離を従来よりも縮め、可能な限り裏ぶた側へ寄せることで、腕時計としての重心位置を下げ、より安定感のある腕なじみと快適な装着感を実現しているのである。

「水平輪列構造」によるムーブメントの薄型化は、デザイン面にも大きく寄与している。ムーブメントの厚さに由来する制約にとらわれることなく、デザインの幅を広げ、豊富なバリエーションを生み出すことを可能にしたのだ。

キャリバー9S85

2009年に発表されたキャリバー9S85は、ムーブメントの上に自動巻機構を重ねるという一般的な構成を持っている。対して2020年発表のキャリバー9SA5は、自動巻機構と輪列を同じ階層に置いている。コンパクトな自動巻機構をムーブメントの中に格納しているのだ。

動力ぜんまいのトルクを抑えて表輪列歯車への負担を軽減

キャリバー9SA5の「水平輪列構造」を可能にしたコンパクトな自動巻機構。さらなるスペースが可能にしたのが、動力ぜんまいをふたつ並べた「ツインバレル」である。

動力ぜんまいのほどける力で動く機械式時計。動力ぜんまいを太く、厚くすれば力は増え、長くすればほどける時間は長くなる。高振動の実現と同時に持続時間を延ばしたキャリバー9SA5は、時計業界の常識から言うと、それまでよりも太くて長い動力ぜんまいを収めたように思える。しかし、単にそうしたわけではないのがグランドセイコーの凄みだ。

動力ぜんまいを太く、厚くするとトルクが強くなり、歯車などが摩耗しやすくなる。部品の長期使用をかなえるため、グランドセイコーの機械式腕時計は、一般的な機械式ムーブメントに比べて動力ぜんまいの力を弱くしている。動力ぜんまいの力を弱くして部品の摩耗を抑え、その一方で性能を上げる。グランドセイコーがその矛盾を克服できたのは、部品を磨いて抵抗を減らすだけでなく、心臓部の脱進機に使われるがんぎ車などを軽くしたためだ。もちろん、こういったアプローチは、際立った高性能を持つキャリバー9SA5も例外ではない。高い振動数と、長い持続時間を持つにもかかわらず、動力ぜんまいの力は、一般的なスイス製の自動巻よりも弱いのである。

キャリバー9SA5を駆動する輪列

キャリバー9SA5を駆動する輪列。ふたつの香箱をダイレクトにつなぐ構造が目を引く。他のツインバレルのように、香箱を連結する歯車がない。一般的に、ムーブメントをハイビート化するにはがんぎ車の歯数を増やす。しかし、てんぷの動きが不安定になることを嫌い、グランドセイコーの技術者たちは、輪列に使う歯車自体を増やすことで対応した。

9Sメカニカル初の「瞬間日送り機構」が高めた実用性

9Sメカニカル初の「瞬間日送り機構」が高めた実用性

実用性も進化した。キャリバー9SA5が搭載するのは、9Sメカニカルとしては初となる「瞬間日送り機構」だ。夜中の12時付近で瞬間的にカレンダーが切り替わる瞬間日送り機構は、腕時計の使い勝手を良くしてくれるが、デメリットも大きい。

機械式時計は、日付表示を動力ぜんまいのほどける力で動かしている。つまり、日付表示を搭載することで、そちらにエネルギーを使用し、時計の性能が落ちてしまうことがある。加えて、瞬間的にカレンダーを替えるこのメカニズムは、普通の日付表示に比べて消費するエネルギーがさらに大きい。とりわけ、キャリバー9SA5のように高性能を追求したムーブメントであれば、余計なエネルギーを使う日付表示はないほうが設計の難易度は低かっただろう。

また、切り替わったカレンダーを瞬時に止める必要があるため、機構自体も大きくなってしまう。ユーザーにとっては便利な瞬間日送り機構も、時計メーカーとしては、採用が難しい機構なのである。しかし、グランドセイコーの技術陣は、キャリバー9SA5の性能を上げただけでなく、瞬間日送り機構をも加えたのである。

キャリバー9S85

キャリバー9SA5のダイヤル側には、日付を表示するデイトリングと、それを動かす日回し車がある。通常、瞬間日送り機構が搭載されたムーブメントだと、日回し車はかなり大きくなる。しかし、普通の日付表示搭載の腕時計と同じサイズにまとめられた。にもかかわらず、グランドセイコーにふさわしい耐久性を維持している。

キャリバー9SA5の瞬間日送り機構には、今までにないいくつかの特徴がある。ひとつは、極めてコンパクトなこと。日付表示を動かす日回し車という部品は、普通プレスで成形する。コストは下げられるが、部品が大きくなってしまうし、強度も持たせにくい。対してキャリバー9SA5の日回し車には、MEMS(Micro Electro Mechanical Systems=微小電気機械システム)で製造した部品が組み込まれた。小さなばねを複数組み合わせることで、キャリバー9SA5の日回し車は非常にコンパクトになった。

日回し車

瞬間日送り機構を司るのが日回し車である。動力ぜんまいからのトルク(回転するエネルギー)を貯めて、一挙に放出してカレンダーを瞬時に切り替える。少し飛び出したつめがデイトリングを送る。MEMSという精密加工技術を使うことで、コンパクトなサイズにもかかわらず、瞬間日送りに必要なばねを複数内蔵することに成功した。

もうひとつが、日付を変更する禁止時間帯が短くなったこと。瞬間日送り機構とは、数時間かけて日回し車に蓄積したエネルギーを一気に解放して日付を替えるものだ。そのため、日回し車にエネルギーを貯めている途中に日付を替えると、日送り機構の故障の原因となりやすい。そこで、ほとんどの瞬間日送り機構を持つ腕時計は、日付を手動で切り替えられない時間帯を定めている。これが日付変更禁止時間帯というものだ。スイスの一般的な機械式腕時計の場合、日付変更禁止時間帯は、日付が切り替わる前後4時間である。つまり、午後8時から午前4時までは、手動で日付を調整してはいけない時間となっている。

デイトリングなどムーブメント展開図の日の裏側

地板の下側に見えるのが、時間合わせと巻上、そして日付表示機構。コンパクトにまとめることで、ムーブメントの厚みを抑えることに成功している。

対してキャリバー9SA5の日付変更の非推奨区間は、午後9時から午前1時とかなり短い。理由は、短い時間で日回し車にエネルギーを蓄積できるためだ。コンパクトな日回し車は、ムーブメントを薄くするだけでなく、使い勝手も良くしたのである。加えて、日回し車の中にばねを内蔵することで、日付変更の非推奨区間に日付を替えようとしても、メカニズムが壊れにくくなっている。こういった機構はスイスの高級腕時計には見られるが、コンパクトな瞬間日送り機構で実現できた例は、ほとんどないと言ってよい。

かつてない高性能に加えて、耐久性と使い勝手の良さというグランドセイコーの美点をいっそう推し進めたキャリバー9SA5。これは、グランドセイコーが提示する新時代の高級ムーブメントなのである。

To be Continued......